集会探訪 大野聖書センター設立30年
中澤 努
相模原市は神奈川県の東部にあり東西に幅広い市です。 その相模原市は政令指定都市への移行を目指す大きな市となりました。 隣接する町田市と共に近代化が進み、駅前は整備され、多くの人々がこの周辺に住んでおります。
今から30年前、相模原市の相模大野で集会が始まった頃はまだ片田舎の素朴な町でした。
戦後米軍病院が建てられ、一本の環状線の道路が町の真中を走り、人々の生活を支えてきました。小田急線は東京の副都心新宿から海沿いの小田原、そして行楽地箱根へと伸びる私鉄電車で、沿線には大学がとても多い所です。
生田集会から相模大野集会へ株分けしたの1978年10月でした。 当時、小田急沿線に集会を建設していこうというビジョンがあり、経堂、生田、相模大野と広がりました。
大学が多いので学生も多く駅前でトラクトを配布すると、何人かがコーヒーアワーに来られました。
相模女子大学の学生や玉川大学、北里大学の学生等が集会に来てくれました。 中には『コーヒー飲ませて下さい』と声をかけて入ってくる学生や集会が始まると寝てしまいコーヒーが出る頃になって目が覚める学生もいました。この人は秋田の方で後に就職で相模大野を去りましたが、東京の会社に就職し、今は信仰をもって教会に通っているとはがきが来ました。
相模女子大学のマンドリンクラブの部長をしていた女性は、特別伝道集会で信仰を持ち、集会で積極的に働く姉妹となりました。
また近所の方もお見えになりました。 都庁にお勤めのこの方は職場で倒れ、半身不随となりました。
近所でお付き合いのある姉妹が特別伝道集会にお招きしました。 奥様が車イスを押して集会まで来られました。
札幌の三橋兄が元気に語っている様子を見て非常に心を打たれたようで、熱心に話を聞いておられました。
やがて話が終わり、最後の祈りをしようとしたその時、ご主人は涙を流し『こんな体になり人生を悲観して生きてきましたが、三橋さんの元気なお話を聞いてとても感動しました。
神様を信じます。』と信仰の告白をされたのでした。 奥様は牧師の娘でしたが、残念ながら信仰をお持ちではありませんでした。しかし突然のご主人の信仰告白にとても驚いておりました。新しい場所が与えられ、引っ越しをしました。
以前よりも広い一軒家が備えられました。 当時家賃が5万円でした。すると今度は宣教師のプレッソン兄が日本の政府から藍綬褒章を授与され、フジテレビが集会所を撮影に来ました。それを近所の方々がごらんになり、大野聖書センターが広く知られるようになりました。
やがて日曜学校に子供達が集まり、求道者も与えられ、また新しい兄弟姉妹が大野に移って来られ、集会に集まる人々が増えてきました。 そんな中で米軍病院の返還により、駅前再開発の波が押し寄せ、集会所とその周辺は契約が難しくなりましたが、主は次の新しい場所を用意して下さいました。以前の相模大野は緑の雑木林が多い美しい所でしたが、現在はマンションやデパートの進出により、木々が伐採され景色も様変わりしました。
人の行き来も多くなり駅の乗降客も多くなりました。都市化しつつある相模大野ですが、この地で私たちの信仰は変わることなく、主の御再臨の日まで、兄弟姉妹と共に福音の業のために働き、証をしていこうと思います。