海の祭礼 吉村昭を読んで

おはようございます。本日は、吉村昭氏の「海の祭礼」というから、「幕末の日本がアメリカから来航して開国要求をしてきたペリーにいかに対処したのか」を中心にご紹介します。

当時オランダと清国とのみに絞り、長崎で貿易を行ってきた日本が、「泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず」という言葉通り、人々が右往左往したのは、この艦隊が浦賀という江戸にほど近い場所に姿を見せ、江戸の町を砲撃するという噂が広まったからです。町にはこの異国船到来を告げる多種多様の瓦(かわら)版(読売)があふれました。

結局、徳川幕府はペリーの強硬な姿勢に屈する形で、安政元年(1854)に日米和親条約(神奈川条約)、その後日米修好通商条約を結びます。さらにオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約(安政の五ヶ国条約)を結び、日本は長い鎖国政策を解いて開国することとなりました。

吉村氏は当時の資料を駆使して、幕末の幕府の様子を生き生きと描写します。

「海の海嶺」を読んで 吉村昭

日・米の国家の交渉について記します。

日本側の交渉の責任者は、徳川幕府(徳川家定、家茂;老中阿部正弘)でした。また米国の交渉責任者は米国政府(フィルモア大統領;ペリー提督)でした。(この小説は)交渉の際、重要な役割をする通訳を中心に物語が流れるようになっており、交渉言語は、オランダ語でした。日本側は、森山 栄之助(もりやま えいのしん)が筆頭通訳で、米側は、ポートマンでした。

日本側が何を大切なこととしており、米側では何を大事に考えているか、交渉の流れを見るとわかります。日本側の交渉は、即決ではなく、要求事項を持ち帰って、合議によって決める方式であり、米側はペルーによる即決でした。日本側は、アメリカ側の要求の真意が読めず、「人命」か「交易」かで、どちらに重点を置くべきか幕府内の議論が分かれます。ペリーの要求は、人命第一でした。彼にとって、人命は大事であり、通商で双方が潤うことは第二義的なものでした。

(日米交渉の概要を以下にまとめます。)
①黒煙を吐いて進む船など見たことのない日本人の目には、それが新しい時代の到来を示す驚異的なものに映ると同時に、測り知れない武力を備えた巨大な軍船にも見えました。ペリーも、そのことを十分に意識して、かたくなに鎖国政策を守る日本人に、西欧の科学技術が生んだ蒸気船が怪物のように感じられるに違いない、と考えていました。しかし、ペリーをはじめアメリカ艦隊の首脳たちは、日本人が西欧についての知識をほとんど持たぬと想像していたことが誤りであることに気づくようになりました。それは、艦隊側と最も接触の多かった奉行所与力・香山栄左衛門と小通詞・堀達之助の態度からも十分にうかがい知ることができました。

②日本人の欧米に対する知識については、同行していたフランシス・ホークス牧師によって書かれた艦隊の公式記録に、「日本人自身は、実用科学の面では遅れているとはいえ、最高の教育を受けた人々は、文明国または先進国の科学の進歩についてかなりの知識を持っている」(「さむらいとヤンキー」フォスター・リーア・ダレス著・辰巳光世訳)とあります。

③アメリカ大統領フィルモアの親書とペリーの信任状、信書は、四隻の軍艦が太平洋上に去った翌6月13日、奉行所与力、同心に護られて江戸に送られました。幕府は、ただちに蘭学者杉田成卿、箕作阮甫らに和訳を命じ、その作業は6月27日に終わり、幕府に提出されました。大統領の親書には、日本に対する3つの要求が記されていました。
一、アメリカの捕鯨船が日本近海で漁をし、アメリカの多くの商船も毎年カリフォルニアから中国に航海している。これらの船が荒天で難破することもあり、その折には船員を救助し、財物を保護して、アメリカから引き取りの船が来るまで暖かく遇して欲しい。
二、日本は石炭と食糧が豊かである。アメリカの蒸気船は、太平洋を航海するのに多量の石炭を消費するので、石炭、食料、水を補給し、それに適した港を開放して欲しい。
三、国際情勢からみて、日本が、オランダ、中国の二国以外との貿易を禁じているのは不当である。アメリカは、日本との貿易を望んでいる。五年または十年間試験的に(貿易を)おこない、それが利益のないことが明らかになった折には中止してもよい。

④この親書について、幕府はもとより諸大名以下日本人のすべてが、アメリカ側の真意を十分にはくみ取っていませんでした。アメリカ側の要求は、捕鯨船への補給、難破船船員たちの人命、財産の保護と太平洋航路計画の基本となる石炭補給、その他を満たす寄港地の開港にあたって、貿易問題は添え物にすぎませんでした。

これに対して、日本側は、前年のオランダからの通報に、アメリカは通商を求めるために艦隊を派遣するとあったこともあって、アメリカの最大の要求は、第三の通商問題にある、と判断したのでした。このため、さまざまな誤解が生まれました。

⑤アメリカの要求する第一の捕鯨船員に対する食糧、薪、水の補給と難破船員の生命、財産の保護、第二の汽船への石炭補給、修理等を可能とする港の開港、第三の通商許可のうち、幕府側の議論は第三の問題に集中しました。
鎖国以来、貿易はオランダ、中国以外には許さず、それが鎖国政策の基本になっていて、アメリカの通称要求をいれることは、その政策の完全な崩壊を意味していました。阿部は、徳川斉昭(海防係参与の任で開国には絶対反対論者)の慰留につとめるとともに、斉昭と意見の交換を行いました。その結果、斉昭は第一の捕鯨船の難破船員の取り扱いと補給問題、第二の石炭補給とそれに伴う開口問題は要求を入れることはやむを得ないとしても、通商問題だけは幕府の基本政策にかかわることであるので、あくまで反対する、と述べ、阿部は、その意見にしたがうことを決意しました。

⑥応接掛の下部組織は、会談決定と同時に強化されていたが、アメリカ側との通訳に当たる通詞団にも変更がみられ、主席通詞に森山栄之助が任じられていた。森山は、長崎でロシア使節プチャーチンと応接掛筒井政憲らとの間で通訳をつとめ、その群を抜いた語学の才能と米艦「プレブル号」につぐロシア使節応接の業績を認められて大通詞に昇格していました。

⑦森山は、旗艦「パウハタン号」に赴き、英語で参謀長のアダムスに新任の挨拶をした。アダムスをはじめ士官たちは、森山が、発音に妙ななまりはあるが、かなり巧みな英語を話すことに驚いた。森山は(帰還した)プレブル号の消息をたずね、「私は、その軍艦に乗って帰国した捕鯨船員ラナルド・マクドナルドから、英会話を教えてもらった。彼は元気だろうか。何か知っていることがあったら、教えてほしい。」と、真剣な表情でたずねました。

アダムスたちは、むろん「プレブル号」で十四名の漂流者が引き取られたことは熟知していたが、マクドナルドの名までは知らず、消息についても首をかしげるだけでした。

⑧林が、視線を少し落としかげんにして話はじめた。
「薪、水、食料を貴国の船に与えてほしい、という儀についてお答えいたす。大君様(徳川家定)は、これまでもそれらの品々をあたえるよう浦々にご指示をし、そのご指示通り実施されて参りました。それ故、御申し出通り、その儀は承諾いたします。蒸気船に石炭がお必要の由、石炭は、わが国の九州に産出いたしております故、これもお渡し申す。また、異国の鯨捕り船などが破船し、わが国の海岸にそれらの船乗りが漂着しました折には、大君様は、これらを御承引なされました。ただし、第三の貴国との御貿易の儀は、わが国法によって固く禁じられておりますこと故一切お聞きとどけなさりませぬ。ここに、御申出の三つの儀につきお答え申し上げる次第です。」
ペリーは、参謀長アダムスに視線をむけ、ふたたび林を見つめると、「只今のことについてお答えする前に、突然ではあるが、ご意見を伺いたいことがある。わが艦隊の一人の乗組員が病死した。他の国の地であれば自由に埋葬するが、貴国は、特別に国法が厳しいと聞いている。どの場所に埋葬すべきか、一応お聞きしたい。」と言った。死亡したのは、「ミシシッピー号」乗組みの陸戦隊員である24歳のロバート・ウィリアムズであった。ペリーは、士官を追浜村の近くにある夏島に上陸させ、調査の結果、人家もないので、そこに埋葬したい、という希望を述べた。林は、森山の和訳した言葉をきくと、ペリーに視線をすえた。「はるばる異国の地にきて病死いたしたとは、まことに哀れなことに存ずる。たとえ軽輩のものとは申せ、人命に重い軽いはありませぬ。日本では、死者を寺に葬る定めになっております。異国人とは申せ、無人の地に葬るのは、いかにも不憫。よろしき地を埋葬地にえらび、その地に手厚く葬りましょう。なお、その地を定めるまで、浦賀燈明台の下に仮埋葬するのがよろしかろうと存じます。」林の言葉は、儒者らしい荘重なひびきがあった。

ペリーは、「浦賀へ死骸を送るのは煩わしい。私は、今回の会議で話し合いがつかぬ折には、1年でも2年でもこの地にとどまるつもりだ。その間に、さらに死人も出るでありましょう。そのたびに浦賀へ送るのは非常に迷惑だ。」と言って、顔をしかめた。
林はふたたびペリーに顔をむけると、「それでは、埋葬地は、この横浜村にある寺といたしましょう。後に改葬することがあるかもしれませぬが・・・・・」ときっぱりした口調で言った。ペリーは、非常に嬉しい。それにまさることはない。後に改葬していただいても異存はない」と感謝の言葉を述べた。

死者の話が出たことで、会議は思いもつかぬ滑り出しをし、緊張した空気が和らいだ。士官の中には、口元を緩めているものもいた。ペリーは表情を改め、話はじめた。

「我がアメリカ合衆国の政治は、第一に人命を重んずることを基本にしている。そのため、わが国民は無論のこと、他国および国交のない国の民も、漂流等で難儀しているのを見れば、力を尽くして救い、手厚く扱うことを常としている。」その言葉が通訳されて林らに伝えられる間に、ペリーの眼は鋭く光り、顔に険しい表情がうかんでいた。通訳が終わるのを待ちかねたように、ペリーは口を動かした。声が、急に甲高くなっていた。「私は、貴国が人命を重んじるということを、全く耳にしていない。他国の船舶が日本近海で難破しても、貴国の政府は、決して救助をしようとはしない。海岸に船を近づけると、大砲を放って近づけず、又、貴国に漂流したものを罪人同様に扱い、投獄する。わが合衆国の国民は、今までも漂流中の日本人を救助してきた。そして、彼らを帰国させようと貴国の海岸に連れて行っても、彼らを受け取ろうとせぬ。貴国は自らの国民まで見捨てている。非常に冷酷な国だ。」

ペリーの眼には、激しい憤りの色がうかび、顔は紅潮していた。応接所の空気は、緊迫した。通訳が終わると、ペリーは、さらに言葉をつづけた。その声は驚くほど大きく、怒声にも近いものであった。
「我が国は、建国以来、日は浅いが、今や世界の強大国になっている。我が国のカリフォルニアと日本国とは、太平洋を隔てて相対し、その間に他の国はない。今後、わが国の多くの船が、一層頻繁に日本近海を航海するようになるだろうが、貴国がこのような冷酷無残な国柄では、非常な苦しみを強いられ、多くの人命まで失うことになるだろう。我が国は、これを見過ごすわけにはゆかない。今後もこのような態度を改めず、難破船の船員を救わぬならば、貴国は人類の敵というレッテルを貼られるだろう」ペリーの体はふるえ、さらに激しい口調になった。
「人類の敵に対しては、わが合衆国は、最近、隣国メキシコと戦争し、その首都まで攻め込んで占領し、大勝利を収めた。貴国もメキシコと同じ運命になるかもしれず、そのことを十分に考えてほしい」膝の上に置かれたペリーの両掌は、固く握りしめられていた。

林たちは、森山の通訳する言葉を身じろぎもせずきいていた。かれらの顔には、何の感情の色らしいものもうかんでいなかったが、血の色はひいていた。林が、ペリーに視線をむけた。林の眼は細く、眠たげにさえ見えた。「戦争に及ぶことになるやも知れぬ、と申されるが、使節のおことばは、事実に相違することはなはだ多く、誤った伝聞によりそのようなお考えをいだいているのだと推察いたします。これも、わが国が他国と交流がない故、貴国ではわが国の国柄を知らず、無理はないと存じます。」

林の口調は、淡々としていた。森山はそれをオランダ語でつたえた。林は、ふたたび口を動かした。
「わが国の国柄は、決して決して仁慈なきものではなく、まず第一に人命を尊び重んじることにあり、わが国は万国の中で最もすぐれておる、と確信しております。このことは、三百年近く泰平がつづいておることでもあきらかであり、人命を軽んずるような仁慈の心なくしては、かくの如くには、とてもとても参りませぬ。おおらかな泰平が打ちつづき、国内にこれといった騒乱も起きぬのは、わが国の政治がことのほか仁慈に徹している、なによりの証拠とお考えいただきたい」


この言葉を前言として、林は、来航する異国船に対して薪、食糧、水をあたえるよう浦々に指令してあり、事実それはおこなわれていると述べ、難破船の船員も手厚く扱い、長崎に護送してオランダ戦で帰国させている、と説明した。
かれは、ペリーが漂民を罪人同様に投獄しているといったことが、「ラゴダ号」乗組員に対する処遇をさしているのを知っていたので、「もっとも、漂民の中にははなはだ善からぬ人物もおり、わが国の法をおかして逃走をくりかえすなど狼藉に及び、やむなくしばらくの間拘禁したことはあります。これは、ひとえにその者どもの無法によるもので、誇張されて様々な誤った伝聞それらの者どもが、貴国へ帰り、あたかも罪人のごとく扱われたなどと言いふらし、さらにそれが誇張されてさまざまなあやまった伝聞として広がったものではないか、と推察いたします。いずれにしましても、わが国には非道な政治など一切なく、使節におかれましても、とくとわが国の国情につきお考えいただければ、疑念もたちまち氷解することと存じます。貴国とわが国の間には、積年の遺恨などさらさらなく、戦争に及ぶほどのことなど毛頭ありませぬ。使節、とくとお考えくだされ」林の声は低かったがゆるぎないきびしさがあった。

ポートマンの口にする英語を聞いていたペリーの顔に、徐々に憤りの色が消え、眼の光も和らいだ。ペリーは、ポートマンの通訳が終わると、静かな口調で言った。
「只今、あなたは、他国の船のものを温かく扱っていると言った。しかし、今までは、わが国の船が近づいても、何かと拒み、薪、水、食糧も容易には与えてくれず、船員たちは、非常な苦しみを味わっている。しかし、貴国が、貴方のいわれる如き国柄で、今後、薪、水、食糧、石炭等を与え、又、漂民も暖かく扱うのであれば、これ以上言うことはない。それでは、今日以後、必ずそれを守っていただきたい。」ペリーの言葉に、林は、「承知つかまつった」と、答えた。これによって、第一、第二の要求事項については了解点に達した。

ペリーの顔に、再び厳しい表情がうかんだ。「さて、貿易の件であるが、なぜ承諾しないのか。貿易というものは、互いにある物、ない物を交換することによって、大きな利益を得るものだ。そのため、各国間の貿易は盛んになる一方で、これによって国の富は増し、国力も強くなっている。貴国も貿易によって、大きな利益を得るべきだ。決して不利益になることはない。これは、ぜひ承諾して欲しい」林たちは、会議の焦点である第三の要求事項の通商問題を、ペリーが強い口調で発言したことに極度の緊張を示した。
林は、けわしい表情をしながら答えた。「確かに、交易は、国に利益を与えるものではありましょう。しかし、元来、わが国は、自国に産出する物のみによって十分に足り、外国から物品を運び入れなくとも、少しも事欠くことはありませぬ。それ故、交易はいたさぬ定めになっており、この国法をただちに廃することは到底できませぬ。使節がわが国に参られた御役目は、人命を重んじ船を安んじて航海させることにあり、それらの儀が、ここに解決いたしたのでありまする故、御役目は十二分に果たせられたはずと存ずる。交易の儀は、利益うんぬんのことであり、人命とは縁なきこと。これでご談合はすべて相すみ申したのではないか、と存じる。ペリーは、ポートマンの通訳が終わると、そのまま口をつぐんでいた。顔には、なんの感情の色らしいものは見えず、思案するように眼をしばたたいていた。

林たちは、無言でペリーの顔を見つめている。通商要求を拒否されたペリーは、何を考えているのか。即座に開戦を宣告するのか、それとも、さらに要求を強いるため艦隊を江戸への至近距離まで進航させ、直接、老中阿部正弘らと談判しようとしているのか。部屋には、重苦しい沈黙が広がっていた。
ペリーが、おもむろに口をひらいた。「貴殿のいわれたことには、一理あるのを認める。確かに私の使命の主意は、これまで述べた通り人命を尊重し、船舶の航海を安全にすることにある。貿易は、国相互に利益をもたらすが、人命には関係ないことである。貿易問題の要求を強いることは、撤回してもよい」

森山の胸に、通商問題は、アメリカ側にとってあまり重要なものではないのかもしれぬという考えがかすめすぎた。森山の通訳に耳を傾けていた林たちの顔に、初めて感情の色があらわに浮かびでた。林の細い目は開き、輝いている。井戸たちの顔には深い安堵の表情が広がり、鵜殿の眼に光るものがわいていた。ペリーの穏やかな回答に、随行の士官や通訳官たちも安堵したらしく、その表情はやわらぎ、微笑みを浮かべている者もいた。第一回の会議は、予想に反して双方にとって満足すべき結果をもたらしたのである。

(了)