罪と罰 ドストエフスキーを読む

今日は。ここ数日、日差しが和らいできましたね。早朝6時ごろに町を散歩すると、ひんやりとした空気が心地いいです。


皆さんはロシアの文豪、ドストエフスキーの小説、「罪と罰」を読まれたことがありますか。
「罪と罰」はその題名の通り、主人公ラスコーリニコフの罪とそれに対する神の罰を描いた作品です。自分の信念を持って老婆を殺した彼ですが、結局は罪悪感に苦しめられます。頭脳明晰な美青年ですが、大学は中退して貧しい生活をしています。
「1つの罪は100の善行によって償われる」という理論のもと、金貸しの老婆を殺害。その現場に老婆の妹まで殺してしまい、罪の意識におそわれます。人を殺害したことを除けば善良な青年で、貧しい家庭にほどこしをしたり、過去には火事のなかから子どもを救出したこともあります。自分の弱さに打ちのめされる彼は、親友や家族、娼婦のソーニャとの関わりのなかで人間らしい心を取り戻し、復活していきます。罪を自覚して、成長するのです。

「殺人」というもっとも重い罪を犯した人間でさえ復活できることを描くことで、読者に希望を与えたかったのではないでしょうか。神はおられるのです。

以下は、小説の中に記された名文です。

「お立ちなさい!
今すぐ、これからすぐに行って四辻に立って、身をかがめて、まずあなたが汚(けが)した大地にキスしなさい。
だってあなたは大地に対しても罪を犯したんですから!
(『罪と罰』より引用)」

2022年7月30日の「クリスチャン トゥデー」紙に衝撃的な記事が出ていました。教皇、カナダの先住民に謝罪 寄宿学校問題「福音とは相いれない悲惨な過ち」
(2022年7月26日22時38分)

カナダを訪問中のローマ教皇フランシスコは7月25日、カトリック教会がかつて運営していた同国内の寄宿学校で、先住民の子どもに大規模な虐待が行われていた問題について、「イエス・キリストの福音とは相いれない悲惨な過ち」だったとして謝罪した。教皇だけではありません。カナダにいる聖職者たち全員が、カナダの現住民「インディオ」達にひざまずき謝罪したのです。かれらは、キリスト教会(カトリック教会、聖公会、メソジスト、合同協会、長老派教会)の聖職者たちでした。

事件は、カナダの国内で起きました。なんと百年間も彼らの罪は隠され、百年後、それらが次々と明るみに出たのです。誌は、インディオを同化させようという試みは、ヨーロッパの世界観と文化的慣習を中心とする帝国主義・植民地主義、および発見の教義に基づく「土地所有権」の概念に根差した誤ったものと、断罪しています。

現地で編成された、「真実和解委員会」の報告書は、「植民地化を行う側の根底には、自主的な文明化が望めない野蛮な人々に文明をもたらした、という人種的・文化的優越感の信念があった」と述べています。真実和解委員会は、連邦政府が寄宿学校の設立を決定した背景には、3つの理由があったとしています。


①先住民族の人々に市場経済に参加するためのスキルを提供する。②教育を受けた生徒が身分を捨て、保護区や家族に戻らないことを期待し、政治的同化をさらに進める。③学校は「文化的、精神的変化のエンジン」であり、「『野蛮人』がキリスト教の『白人』として出現する」ものであった。

この3つに加え、委員会は国家安全保障の要素も述べ、インディアン問題委員会の委員であったアンセル・マクレの言葉を引用している。「部族や種族が、その構成員が完全に政府の管理下にある子供たちを持つ政府に対して深刻な問題を起こすとは考えられない」

教皇は7月25日午前、西部アルバータ州マスクワシスの寄宿学校跡地にある墓地を訪問。犠牲となった子どもたちのために祈りをささげた後、先住民ら数千人が集う野外集会に参加した。マスクワシスのエルミネスキン地区は、先住民の子どもを対象にした寄宿学校の中でも、最大規模の寄宿学校の一つがあった地で、多くの子どもたちが犠牲になった。

膝の痛みのため5月から車椅子で移動している教皇は、この日も車椅子で墓地を訪問、立ち並ぶ十字架の墓標の間で沈黙のうちに祈りをささげた。また、寄宿学校で亡くなった子どもたちの名が記された横断幕には口づけして祈りをささげ、追悼のモニュメント前でも車椅子を止め、頭を垂れて祈りをささげた。

その後、カナダ全土から集まった先住民の集会に参加。集会には、カナダのメアリー・サイモン総督やジャスティン・トルドー首相も参加した。サイモン氏は母親がイヌイットで、昨年7月に先住民としては初めて総督に就任した。集会には、それぞれの民族衣装を着た先住民らが太鼓の音を鳴らしながら入場し、舞や歌を披露した。

教皇は集会のメッセージで、寄宿学校制度を含むカナダの同化政策が、いかに先住民にとって破壊的なものであったかを覚える必要があると強調。4月にも、バチカンを訪れた先住民の代表団に謝罪していた教皇は、「私が今、皆さんの間にこうしているのは、この悔悛(かいしゅん)の巡礼の最初の一歩として、もう一度皆さんの赦(ゆる)しを乞い、深い悲しみを伝えるためです」と語った。

その上で、「多くのキリスト教徒が、先住民を抑圧する列強の植民地主義的な考え方を支持してきたことをお詫びします。特に、カトリック教会と修道会の多くのメンバーが、とりわけ無関心によって、当時の政府による文化的破壊と、寄宿学校制度を頂点とする強制的な同化政策に協力したことについて、赦しを求めます」と述べた。

教皇は、「これは最初の一歩であり、出発点にすぎないことに心から同意します」と述べる一方、未来に目を向ける必要性も指摘。過去の調査やトラウマに苦しむ寄宿学校の元生徒らに対する支援の必要性に触れつつ、「私は、この地のキリスト教徒と市民社会が、先住民のアイデンティティーと経験を受け入れ、尊重する能力を育むことを信じ、祈ります。そして、先住民をよりよく知り、尊重するための具体的な方法が見いだされ、すべての人々が共に歩むことを学ぶことができるように願っています」と語った。

前日24日にカナダに到着した教皇は、6日間の日程で滞在する予定。27日には、サイモン総督を表敬訪問するほか、トルドー首相やカナダの各界要人、先住民代表、駐在外交団と会談。28日には、寄宿学校の元生徒らとの会談も予定されている。その後29日夕に、北部ヌナブト準州のイカルイト空港からローマへの帰途に着く予定。

先住民の子どもを対象とした寄宿学校は、カナダ政府による同化政策の一環として、1870年代から1990年代まで運営された。その多くはさまざまな教派のキリスト教会が運営を担い、その中でも最も多くの寄宿学校を運営していたのが、カトリック教会だった。カナダの真実和解委員会は、2015年に発表した報告書で、少なくとも6千人の子どもが寄宿学校で死亡したと推定している。しかし、正確な数字は現在も明らかになっていない。

インディオの子どもたちは、a厳しい規律と体罰、b文化の強制、c劣悪な衛生環境、d不十分な教育訓練、e家族からの分離f生徒らが「科学的実験に強制的に参加させられたことg運営資金の不足、h言語と文化の喪失、i生徒と家族に対する歴史的トラウマの発生、などを受容しました。

寄宿学校の多くはカナダ政府が出資し、運営はさまざまな教派の教会にゆだねられていました。1867年から1939年の間で年間に運営された学校の数は1931年の80校がピークであったが、そのうち44校は16のカトリック教区と約30のカトリック共同体、21校はイングランド教会・カナダ聖公会、13校はカナダ合同教会、2校は長老派によって運営されていた。

連邦政府が施設とメンテナンスを提供し、教会が教師と独自の授業計画を提供するという形態は、経済的利点のため採用されていた。その結果、教会が運営する学校の数は、一般社会での存在感を反映するというよりもむしろ宣教活動の遺産としての性格を帯びるようになった。

教会の謝罪は以下のとうりです:
①合同協会 ;植民地化に加担したことを謝罪。カナダ合同教会を代表して、ビル・フィップス師はこう述べた。
皆さんは、記憶の奥底から、私たちの教会が関与した寄宿学校の運営による苦しみを共有してくださいました。今もなお個人的なそして歴史的な痛みを抱え、弱みとなっていることを共有してくださいました。また、先住民族の生命を育む尊厳から生まれた強さと知恵を、私たちと分かち合ってくださいました。
カナダ合同教会を代表し、私は、私たちの教会が関与した寄宿学校が引き起こした痛みと苦しみについて謝罪します。
私たちは、この残酷で誤った発想の同化システムが、カナダの先住民族に与えた損害の一端を認識しています。このことについて、私たちは本当に、そして最も謙虚にお詫びします。
カナダ合同教会が関与していた寄宿学校の生徒として、肉体的、性的、精神的な虐待を受けた人々に、私たちは心からの謝罪を捧げます。皆さんは何も悪いことはしていません。皆さんは被害者であり、今も被害者です。いかなる状況下でも正当化も弁解もできない悪行の犠牲者なのです。

②ローマカトリック教会;1991年、サスカトゥーンで開催された「先住民寄宿学校に関する全国会議」で、カナダの司教と学校に参加した宗教団体の指導者たちは、次のような謝罪文を発表した。
私たちは、多くの人々が経験した痛み、苦しみ、疎外感を残念に思い、深く反省しています。
私たちは、彼らの苦痛の叫びを聞き、苦悩を感じ、癒しのプロセスの一部となりたいと思います。
私たちは、基本的人権の承認を求める先住民族と連帯し、連邦政府に対し、寄宿学校における自らの役割を果たす責任を負うよう求め、信仰共同体に対し、先住民族にとって重要な問題についてより多くの情報を得、より深く関与するよう促します。
1991年7月、カナダのカトリック系住民学校の大部分を運営していた宣教修道会であるカナダ・オブレート会の当時の会長であるダグラス・クロスビーは、約25,000人の先住民に次のように謝罪した。
私たちは、ヨーロッパ人のメンタリティーの一部である文化的、民族的、言語的、宗教的帝国主義に加担したこと、そして特に、これらの学校で起きた身体的、性的虐待について謝罪します。これらの不法行為に対して、今日私たちは深い悲しみを表明し、皆さんの許しと理解を求めたいと思います。私たちは、必要であればどこでも、癒しのプロセスの一部として、それを補うことができることを望みます。
クロスビーはさらに「家族を構成する深い信頼と連帯に再び立ち返る」必要性を誓った。「私たちは過去の傷を越える道が長く険しいかもしれないことを認識しているが、その道を先住民とともに旅することを新たに誓う」と述べた。


1993年5月16日、アイダホで、イエズス会の当時の総長ピーター・ハンス・コルベンバッハは、西部宣教におけるイエズス会の行動と、教会が部族の習慣、言語、精神性に対して無神経だったことについて謝罪を発表した。

③英国国教会;1993年8月6日、オンタリオ州ミナキで開催された全国聖職者会議にて、マイケル・ピアーズ大主教はカナダ聖公会を代表して寄宿学校の生存者に謝罪した。
私は、神と皆さんの前で、寄宿学校における私たちの失敗を受け入れ、告白します。私たちはあなた方を失望させました。私たちは私たち自身を失望させました。神を失望させました。
私たちが、皆さんと皆さんの子供を家庭や家族から引き離す制度の一部であったことは、言葉にできないほど残念に思います。私たちがあなた方を私たちのイメージ通りに作り変えようとし、あなた方から言葉やアイデンテティーを奪ってしまったことは、言葉にできないほど、残念なことです。私たちの学校で、多くの人が身体的、性的、文化的、感情的に虐待されたことを、私は言い尽くせないほど残念に思っています。カナダ聖公会の代表として、私は謝罪の意を表します。

④長老派;1994年6月9日、カナダ長老派教会は、6月5日にトロントで開かれた第120回総会で、寄宿学校における自らの役割を認め、許しを求める告白を採択した。この告白は10月8日にウィニペグで行われた式典で発表された。
私たちは、先住民の人々にも許しを求めています。私たちが聞いたことを私たちは認めます。私たちが語るにはあまりに深い傷で不義を犯した人々が、私たちの言うことを受け入れてくれることを望んでいます。神の導きによって、私たちの教会は、神の民として共に癒しと完全性を見出すために、先住民族の人々と共に歩む機会を求めていきます。

和解:
1990年夏、カネサタケ・モホーク族は、政府が先住民の土地所有権を尊重せず、ケベック州オカのモホークの伝統的な領土を認めていないことについて政府に立ち向かった。この土地問題は、メディアによって「オカの危機(英語版)」と呼ばれ、先住民のコミュニティや彼らの懸念に対するカナダ政府の対応について批判的な議論を巻き起こした。この事件を受けて、当時のブライアン・マルルーニー首相は、政府の4つの責任を強調した。モホーク族の行動は、ミーチレイク合意(英語版)に関する先住民指導者の反対意見とともに、カナダにおける先住民の地位を調査するための先住民族王立委員会の設立につながった。1996年、王立委員会は有意義で行動に基づいた和解のためのビジョンを含む最終報告書を提出した。

◎教会のプロジェクト
1975年、聖公会、ローマカトリック教会、合同教会が他の6つの教会とともに、「カナダ社会と先住民族の人々との関係の変革」を目的として、後に先住民族権利連合(ARC)と呼ばれるプロジェクトを結成した[174]。以下の項目を目標とした。
•カナダにおける先住民族の土地と条約の権利の承認

•自決権など、カナダ憲法で認められ、裁判所でも支持されている先住民族の歴史的な権利を実現すること
•適切な住宅、教育、医療、適切な法制度に対する権利を含む、社会的権利の侵食を回復すること
•先住民族の人々、キリスト教社会、カナダ社会の間の和解を求めること
•カナダにおける先住民族および社会正義に向けた行動のための道徳的および精神的基礎を明確にすること
•先住民族のコミュニティと環境を脅かす開発および軍事プロジェクトに反対すること。
•ジュビリーの中で先住民族の正義を促進すること

また、教会は、寄宿学校の遺産について話し合い、先住民と非先住民がコミュニケーションをとり、相互理解を深めるための環境を醸成することを目的としたワークショップなど、和解のための取り組みを行っている。

2014年に、連邦政府はAHFや国立先住民族保健機構などの先住民健康組織への資金提供を打ち切った。それ以来、これらの癒しの努力に積極的に参加することを持続するために、教会にさらなる圧力がかかっている。

1992年、カナダ聖公会は、寄宿学校に関連した癒しの継続的な必要性に応えるために、癒しと和解のための聖公会癒し基金を設立した。1992年から2007年にかけて、この基金は705のプロジェクトに向けて800万ドル以上を資金提供した。

1997年10月、カナダ・カトリック司教会議(英語版)(CCCB)は、翌年の和解・連帯・交わりのための協議会の設立に合意した。2007年、同評議会はカトリック・先住民族評議会となった。1999年11月30日、CCCBはフィル・フォンテーヌ大酋長が代表を務めるアセンブリ・オブ・ファースト・ネーションズと協定を締結した。

2000年代には、連合教会は癒しのイニシアチブを支援するために正義と和解基金を設立し、長老教会は癒しと和解プログラムを設立している。


(最後に)
人種差別は、人間が陥りやすい、ある種の偶像だということを指摘したいと思います。
ややもすると、人類は、異人種同士で、対立、紛争を繰り返して今日に至っているのです。

「繁栄という名の偶像」を書いた、ボブは、「進歩の陰で」に、「私たちは、とりつかれた世界に生きている。そしてそのことを知っている」という言葉をあげています。「とりつかれた世界」とは、不合理性や恐怖を生み出すイデオロギーや悪魔的なものの氾濫する世界のこと」を指しています。人種差別も、人間に寄り添う、悪魔的な「闇の意識」に他なりません。

新約聖書にも、イスラエル民族と混血人のサマリヤ人が登場します。主イエスは、アッシリアに滅ぼされ、異人種と混血した異民族であるサマリア人を自(みずか)ら訪問し、福音を伝えました。サマリア人は、ユダヤ人から軽蔑されていたけれど、喜んでイエスを受け入れました。イエスの公生涯の初期の頃でした。イエスのサマリア伝道の後、ガリラヤで伝道され、エルサレムで、十字架にかかられます(3年半の公生涯でした)。

イエスの十字架上での死後、主イエスは復活され「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」とお命じになりました。ユダヤ人とは、異なる人種への伝道は、パウロやペテロや弟子たちににゆだねられ、彼らは、ローマ帝国とたたかい、弟子たちは、イギリスやアメリカへと、またアジアに伝道しました。この伝道を通じ、キリスト教は、世界宗教となっていったのです。

イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、アッシリアはバビロニアに、バビロニアはペルシャに、ペルシャはアレキサンダーのギリシャに、ギリシャはローマによって征服されました。しかし、世界中にこの人種の壁はあり、私たちはこの壁を一つ一つ乗り越えていかなければならないのです。

アメリカにある人種問題はよく知られています。1968年に銃弾に倒れた『キング牧師』が生前語った言葉はよく知られています。「 I have a dream. (私には夢がある)」また、インドのカースト制度と戦った人物にマザーテレサ(1999年没)がおります。「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたことで彼女の人生は変わりました。

 

日本にも人種問題はあります。アイヌと大和人(倭人)の長い葛藤の歴史です。

(了)