今日は、屋外ではセミが鳴き始め、学校は夏休みに入りました。本日は「宗教と政治の混交」というテーマで学びを進めていきたいと思います。先日安倍元首相が街頭演説の最中に銃撃を受け亡くなるという、痛ましい事件がありましたが、狙撃犯の母親が統一教会(旧称)に、多額の献金をして、自らの家庭は破産し、狙撃犯本人は食事にもこと欠く状況だったことが明らかになりました。
母親には、献金すれば幸福が得られるという思い込みがあり、母親は、自らの生活を顧みず、多額の献金をしたらしいのです。
過去、カルトと言われる宗教に献金して大事件となった例は、少なくはありませんが、17世紀に英国と米国でピューリタンと言われるグループが革命を起こしました。その革命に聖書が絡んでいることが最近の研究で明らかになっています。
事件は「清教徒革命」あるいはピューリタン革命と言われ、この革命は「千年王国を夢みた革命」と言われています。そこで、なぜ聖書の黙示録に書かれている「千年王国」が革命と結びついたのか、考えてみたいと思います。(当時のイギリスの生活状況を考えてください)
テキストは、「ヨハネ黙示録20章1-15です。黙示録は福音書と違い硬い文章ですので、忍耐強く読み進めていってください。
ヨハネの黙示録20
1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、3
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。4
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。7
しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを招集する。彼らの数は海べの砂のようである。9
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物が開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。13
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。15
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
(以上「新改訳聖書ヨハネの黙示録」より )
ハーレイの改定新版「聖書ハンドブック」のヨハネの黙示録、副タイトルは、聖書物語の大終曲、勝利の賛歌、キリストの究極の勝利、新天新地 とあります。
本書は、神ご自身がキリストを通して、御使いによりヨハネに記述させ、ヨハネがそれを書いたものです。ヨハネが、95年ごろのドミティアヌス帝の迫害のときに、パトモス島に流されて、翌96年、ネルヴァ帝統治翌年にヨハネは釈放され、エペソに帰りました。この書が記されたのは、パトモスで幻を見たが、彼が釈放されてエペソに帰った後であるかもしれません。
本書(ヨハネの黙示録)は2部構成です。第一部は1-3章、「今あること」(1:19).すなわちヨハネ時代のこと。7つの教会に7つの手紙が送られるが、それらはその当時の状況を取り扱っている。第二部は、4-22章:「この後に起こること」(1:19,4:1)その時から終わりまでを含みます。今回の対象個所20章は、この後に起こることに含まれています。
ヨハネの黙示録20章には何が書かれているのでしょうか。
焼かれゆく殉教者たちの赤い炎の中で、この幻は与えられ、書き留められました。キリスト者に対するローマ皇帝の最初の迫害は、本書が書かれる30年前、64-67年のネロによるものでした。クリスチャンは、おびただしい人数が十字架につけられたり、野獣に投げ与えられたり、燃えやすい着物を着せられて焼き殺されたりしました。皇帝ネロは、焼け死んでいく男女の断末魔の叫びに笑いこけたそうです。ペテロとパウロが殉教の死を遂げたのはこのネロの迫害のときです。皇帝による第2の迫害は95-96年、ドミティアヌス帝によって行われました。それは短期間でしたが、非常に激しいものでした。4万人を超えるキリスト教徒が拷問にかけられ、殺されました。ヨハネはこの時期パトモス島に流されていました。皇帝による第3の迫害は、98年のトロヤヌス帝によるもので、まさに始まろうとしていました。ヨハネは、キリスト教信仰を撲滅しようとするローマ帝国の圧力の最初の2つの時代を生き抜きました。今や第3の時代に入ろうとしていた。この時代は教会にとって暗い日々でした。しかしこれよりなお暗い時代が来ようとしていました。また外部から迫害を受けていたのみならず、教会そのものも内部から堕落と背教の兆しを見せ始めていました。明かに、神は、来るべきこの恐ろしい時代に備えて教会を堅固にするために、これらの幻を与えられたのである。
黙示録20章:1-10節 千年王国:「千年」という数字は全部で6回出てきます。主の再臨は新約聖書の中に300回以上も挙げられているといわれていますが、千年王国は聖書の中でただ一度だけ、しかも聖書中で最も神秘的な書の最も神秘的な部分に出てきます。
主の来臨に対する祝福に満ちた希望とたえざる期待をもって生きることとが本書(黙示録)の狙いです。
「ただ聖書のみ」の原則は、他方で聖書に忠実な実践、生活の在り方を求めました。イギリスの清教徒(ピューリタン)運動は、正統主義・正当神学・正統実践の典型的な例です。エリザベス女王は(在位1558‐1603)は、国教会での実践面での改革を唱えた清教徒運動を抑えることに懸命でした。17世紀に入り、欽定訳聖書(キング・ジェームズ)で知られるジェームズ1世(在位1603-1625)やチャールズ1世(在位1625-1649)は、王権神授説をたてにして、王権による宗教の統制を強めました。さらに、カンタベリー大司教ロード(在位1633‐1645)は、監督政治を国教会に強制し、長老政治や会衆政治を国教会に導入しようとした清教徒を圧迫しました。清教徒運動は、イギリス全体を聖書により改革するという革命思想へと次第に発展していきました。
清教徒の間では、イギリスを千年王国の実現の場所とする信仰が、強く信じられていました。トーマス・ブライトマンは黙示録の小アジアの7つの教会を各時代の教会に当てはめ、最後のラオデキアの教会が英国国教会であるとして、その終末的性格を表現しました。また、第五王国(
the Fifth Monarchy )と呼ばれる当時イギリスで広く信じられていた千年王国思想では、ダニエル書の4つの獣を、アッシリア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国に当てはめ、それが第五の王国であるイギリスにとってかわられ、やがて千年王国が実現すると信じてられていました。
イギリス本国で清教徒革命を成功させたクロムウェルも、このような千年王国思想を持っていたといわれています。そして新興の商工業者・市民階級の支持を背景に、クロムウェルを指導者として、政治的に議会を制圧し、軍事的にも王党派を破り、革命を断行します。ロードは教皇主義者として、国王チャールズは人民に対する反逆者として処刑されました。クロムウェルに、この時代の「正統実践」の象徴を見ることができます。彼は、神のみ前に敬虔な政治家であることに務め彼の軍隊には信仰と実践訓練、神の正義遂行という召命感を要求し、国民に対しても安息日の遵守、禁酒・賭博の禁止など、道徳の刷新を迫りました。
しかし、その高価な理想にもかかわらず、清教徒革命は三十年戦争の現実に逆行するものでした。一つの神学、一つの実践をもって社会を変革しようとした最後の、しかも失敗の試みとなったのです。事実、革命の失敗後、王政は復古し、国教会は監督制で固められました。清教徒運動も国教会から離れ、バプテスト、長老派、会衆派、クェーカーなど、独特の神学と実践を持った教会が国教会から独立していきました。同じころ、ルター派教会でも実践面での改革に一石が投じられました。シュペーナーの『敬虔なる願望』(1675年)がそれです。彼は、大陸のカルヴァン主義やイギリスの清教徒運動などのリフォームド神学との接触を通して、実践的キリスト教に開眼しました。30年戦争で疲れ切った、また正当神学の変調で形式化したドイツの教会に実践的改革を迫ったのです。彼に端を発する敬虔主義は、次の18世紀の教会の主要な運動となります。
最近の研究では、この清教徒たちの「大移住」には、「千年王国論」が大きく影響していると見られています。千年王国論とは、キリスト教の宗教的解釈の一説で、『聖書』の「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」をもとに、将来キリストが再臨し、地上でキリストの王国が実現されると教える教義です。この教義はしかし、アウグスティヌスが『神の国』において非難して以降、カトリック教会の支配的教義からは、「迷信」として排斥され、中世においては民衆や異端的な預言者に受容され、近代において登場しても、前近代的な「狂信派」の思想として捉えられがちでした。
しかし、これが近代イギリスの扉を開いた革命に大きな影響を与えていたからには、千年王国論は単に前近代、狂信的という言葉では片付けられない歴史的役割を担っていたことになります。なぜなら、革命以前、多くのピューリタンが迫害から逃れてアメリカ大陸のニューイングランドへと渡り、本国から遠く離れたこの地で、祖国の腐敗を嘆き、新しい地における理想の国の実現を目指す千年王国論が確立されていきました。ニューイングランドは決して本国と隔絶されておらず、むしろ相互の交流は活発で、特に革命勃発後はピューリタンの帰国者が相次ぎ、ニューイングランドの千年王国論が逆輸入されました。しかしピューリタン革命の挫折とともに千年王国論を奉じる人々はアメリカ大陸へと帰っていきましたが、千年王国論はピューリタン革命から110年後のアメリカ独立において再度姿を現し、アメリカにおいて、モルモン教や、エホバの証人などのプロテスタント教会に強い影響を及ぼし、彼らを理想郷造りに駆り立てました。
中世よりさらに時代を下ると「千年王国論」の意味は拡大し、地上に理想境を求めるという意味で、ユートピア思想へと拡大、あるいは、互いの境界線が曖昧になっていくようになりました。
私は手元に、「クロムウェルとピューリタン革命」(今井 宏氏)という本を持っていましたが、この本の前書きには、以下の文が描かれています。
「17世紀中頃のヨーロッパは、全般的に危機の時代であった。この危機を代表するものが、ヨーロッパの片隅の島国イギリスで勃発した。ピューリタン革命である。チャールズ1世の専制支配に対して、イギリスの国民は議会を中心にして立ち上がった。そして激動の日々は、田舎紳士にすぎなかったオリヴァ・クロムウェルを、この革命の指導者に鍛えあげたクロムウェルにひきいられ、神の支配する国の到来を信じて戦った聖者の軍隊が、イギリスにまた近代ヨーロッパに残したものは何であったろうか。本書はクロムウェルの思想と行動を通してそれを解明する」。
しかし、今井氏による解明は鈍いメスで手術をする医者のようなもので、どうも、革命の動因がはっきりしません。そこでもう一つの本「千年王国を夢見た革命 17世紀英米のピューリタン」というタイトルの本が役に立ってきます。著者は岩井 淳(静岡大 人文学部教授)
岩井氏は序章に、以下の文を記しています。
「ピューリタン革命の原因は、様々な面から論じられてきた。ある研究者は、国王側の専制的支配の弊害を強調し、またある研究者は、絶対王政下での資本主義的な勢力の興隆を重視してきた。そうした政治的・経済的原因は、もちろん無視できないが、ピューリタン革命を考える際、宗教的要因は、それらに勝るとも劣らない需要な位置を占めている。
宗教的要因とは、一言でいえば、国王側が国教(アングリカニズム)を強制したのに対して、議会側がピューリタニズムを信奉したというものである。ピューリタニズムは、16世紀後半のエリザベス女王時代に起源をもっている。彼らは、その後何度かの迫害を受け、穏健化したり、地下にもぐったりしながら革命期まで批判勢力であり続けた。実際、議会派には、多数のピューリタンが含まれており、革命中、ピューリタニズムは様々な影響力を行使したのである。議会派は、1640年代半ばに、国王との妥協をはかる長老派と、徹底抗戦を主張する独立派とに分離した。興味深いのは、この長老派と独立派という名称が、本来は、ピューリタンの教派名に由来していた点である。宗教上の長老派は、カルヴィニズムの流れをくみ、末端の教会を統轄する長老派の役割を重視していたが、さらに全国的教会組織を考えることによって、国教会と類似する面をもっていた。他方、宗教上の独立派も、カルヴィニズムの影響下にあったが、信者集団からなる末端の教会=コングリゲーションを基本単位と考え、下から教会組織全体を純化しようと構想していた。
こうしたピューリタンの教派が、議会派の政治的党派と結びついて、長老派と独立派が誕生した。このこと自体、当時の社会において宗教が大問題であったことを示しており、革命が「ピューリタン革命」とよばれたゆえんでもある。議会派では、内戦の勝利に伴って、独立派の発言力が強まっていった。1640年代後半になると、革命は、オリヴァ・クロムウェルに率いられた独立派のリードのもと、平等派に結集した一般兵士層やロンドン民衆のエネルギーをも汲み上げて、しだいに急進化する。1648年12月に長期議会から長老派議員が追放され、翌年1月には国王チャールズ1世が断頭台の露と消えた。こうしてピューリタン革命は頂点に達した。1649年3月には、君主制と貴族院(上院)が廃止され、庶民院(下院)のみからなる議会が誕生した。イギリス史上で他に例を見ない共和制政府が成立したのである。
さて、ここで革命における宗教の役割を考えてみよう。ピューリタン革命の宗教的原動力は、何といってもピューリタニズムであるが、最近の研究はこのピューリタニズムの中の千年王国論に注目を集めている。従来の研究は、革命期の千年王国論を狂信的な信仰と見なすことが多かったけれども、最近になってようやく、それは正面から論じられるようになっってきた。千年王国論とは、聖書の「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」を典拠にして、近い将来にキリストが再臨し、地上で「キリストの王国」が実現されると考える教義である。
千年王国論は、原始キリスト教の教義であったが、中世を通じての長い異端的伝統をもち、17世紀イギリスにおいて有力な教えとして復活した。この復活に寄与ししたのが、トマス・ブライトマンやジョゼフ・ミードといった神学者達であった。ブライトマンとミードの主著は、ラテン語で書かれていたが、革命期に英訳され、多くの読者を獲得した。彼らの著作は読みつがれ、ブライトマンやミードの影響下で、革命期にピューリタンたちは千年王国論を主張したのである。
その際、注意しなければならないのは、革命期の千年王国論が原始キリスト教そのままの復興ではなくて、明らかに、宗教改革以降のプロテスタント的特徴を備えていたという点であろう。たとえば、ブライトマンやミードの場合、キリストの王国の実現前に打倒される「反キリスト」としてローマ教皇やカトリック教会を想定していた。この考えは革命期にも継承され、トマス・グッドウィンという独立派牧師は、「反キリストとカトリックが世界にもたらした、あらゆるボロ、すべてのクズと汚れを打倒する。」ように訴えた。つまり、16‐17世紀の宗教改革や宗教戦争という背景なくして、革命期の千年王国論は語れないのであり、ピューリタンたちもそうした状況に拘束されていたのである。30年戦争(1618-1648年)に代表されるカトリックとプロテスタントとの対決は、ピューリタン革命にも影を落としているといえよう。
千年王国というのは、サタンが千年間縛られ、イエスの証(あかし)と神の言葉のゆえに首をはねられた人たちは生き返って、キリストとともに千年の間王となるという状態のことをさします。
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彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捉え、これを千年のあいだ縛って、3 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。4
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。5
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
何千年にわたる混乱の後、この地上に平和がもたらされます。イエス・キリストが、天のみ座から離れて、神の都エルサレムで王位につきます。以前の地上宣教のときにキリストを拒否したこの町は、喜んでキリストを迎えることでしょう。「十字架につけろ」という叫び声の代わりに、預言者ゼカリヤの言葉のようになります。
「彼らは、自分たちが突き刺したもの、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、そのもののために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。(ゼカリヤ十二・十)
今やキリストがメシヤであることは明白で、エルサレムのユダヤ人は長い間、真実を拒否し続けてきたことで泣くでしょう。ユダヤ人たちは、イエスを信じたから反キリストを拒絶したのではありませんでした。反キリストが神の都に移り住んで、自分自身を神と宣言したその冒涜的行為のゆえに拒絶したのです。しかし、イエスが聖なる都に戻ってこられると、彼らはひざまづき、イエスを救い主として認めるようになります。千年王国の到来です。
イエスが神の都に住むようになると、神の教会の人たちも、イエスと共にそれぞれの位につきます。彼らは神に仕えるために、自分の命まで惜しまなかった人たちで、イエスとともに永遠に御国を治めることになります。十二使徒が高い位につくことはまず間違いないと思われますが、ほとんど名前も知られていないような多くのクリスチャンにも、高い位が与えられるでしょう。試練の中で堅く信仰を貫き通した人々が、この時報いを受けるのです。あなたやわたしにも、大統領や知事、市長といった立場が与えられるかもしれません。世界中には多くのポジションがあって、それらすべてはキリストに従った人々に与えられます。
この千年は、戦争も犯罪もない史上最高の時代でしょう。人びとは永遠の展望を持ち、利己的な野望を持つこともないのです。この千年王国ではキリストがこの世界を治め、すべての人がキリストを見ることができるようになります。
「もし、神さまの声が聞こえたり、姿が見えるのであるなら、私は神様を信じることができるのに」と言う人がいます。この千年王国時代、人びとは神に関して全く疑う理由がなくなります。というのも、この間キリストは物理的に地球に住まわれるからです。だれもが、世界を治めておられるキリストを見ることができるのです。この時代にはキリストが神であることを疑う人はいないでしょう。本当に素晴らしい時代だといえます。
しかし、それでもすべての人々が幸福であるわけではありません。時がたつにつれて、キリストの統治に抵抗する人たちが現れます。キリストが再臨される以前の暴力と破壊に満ちた世界を知らない、新しい世代の人々です。彼らはキリストの支配に対して苛立ちを覚え、もっと「革新的な」人を求めるようになるのです。
キリストの統治は公正であると同時に、人びとにも正しさを求めます。この時代はサタンも存在しない千年王国だから、地上に住む人々はさぞ正しい人たちばかりであると私たちは考えてしまいますが、そうではありません。そこは地上であって、天国ではありませんし、人はあくまでも人としての性質を持っているのです。人が悪を行うのに、必ずしもサタンの誘惑を受ける必要はありません。私たちの心の中には、すでに多くの罪があるのです。サタンのせいにされてしまう悪のうち、サタンが全く関係しないものも多いのではないかと私は思います。
キリストの統治下であっても、人は不正を働いたり、嘘をついたり、人妻を誘惑したりするでしょう。これらすべての問題が、これから起こる裁きから逃れるということはありません。地上のほとんどの人はこの時代、幸せに暮らしていますが、中にはキリストを憎んでいる人もいることを見逃してはいけません。彼らはサタンの再来を望み、それが現実となるのです。
千年の後、再びサタンが出現することになります。サタンは自分の力で地上に出てきたのではなく、聖書には、サタンは自由にされたとあります。つまり、神はこの地上での最後の計画を成就させるために、それをゆるされたということです。
驚くべきことですが、また、何千、何万という人びとがサタンの虚偽を選ぶようになるのです。ゴグとマゴグという勢力が、キリストの支配に敵対するようになります。どのように、それが起こるのか聖書はしるしていませんが、神がそのようなことが起こるといっていますから、私はそれを信じるしかありません。
今一度、聖都エルサレムはサタンの軍勢に包囲され、勝利はサタンのものとなったように見えますが、突然崩壊が起きます。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
ついに、悪は永遠に滅びます。この宇宙はきよめられ、人も二度と私たちの中にある原罪と戦う必要がなくなります。宇宙全体が解き放たれ、私たちの知っている世界は溶解してしまうでしょう。天から火が降り注ぎ、サタンとその軍勢が滅び去った時、実際どのようなことが起こるのか聖書は明確に記していませんが、地球はもはや存在しなくなります。使徒ペテロがこの日が来ることを次のように書いています。
10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼きひどい目にあうことになる。尽くされます。(Ⅱペテロ3・10)
つまり、地球とその中のすべてが燃え尽きてしまうということです。地球は存在しなくなり、時間も無くなり、永遠のときが始まります。
(まとめ)
クリスチャンにとって、黙示録は必読の書である。それは、年齢を経るにしたがって私たちは神に近くなり、思いを地上のことから御国のことに向けるからである。青年たちにも黙示録は必要である。この時期にサタンのとりことなり、神から離れ、キリストから遠のき、教会の交わりから落後することになれば、それはなんと不幸なことであろうか。そのものの人生は御国への希望を全く捨ててしまった灰色の人生であり、アリ地獄の穴のようになるであろう。
黙示録が別の面で強く訴えていることは、「悔い改め」ということである。悔い改めなくしては黙示録を読むことはできない。この点をおろそかにするクリスチャンがもし存在するとすれば、その者は土壇場になってひどい目にあうことになる。何か一つのことでもいいから、それを徹底的に守るように努めてみよう。そしてそれができない自分を発見した時、私たちの前途に十字架の主イエスを仰ぎ見て、再度立ち直るべく、悔い改めて挫折を乗り越えるようにすべきである。何か一つのことができるか、できないかは問題ではない。究極的には、悔い改めて信仰に立っているかどうかが大切なのである。黙示録に記されているような大患難時代の災害が次々と生じる時、(その予表は現在、社会的にも、個人の生活においても、至る所に見ることができる )、私たちがどのような態度で臨むかが問われている。私たちは常に心の準備を十分にしていなければならない。
もう一つ、黙示録が強く訴えているのは、悪の根源というメッセージである。確かに終末論は、現在と終末との間の信仰のあり方が問われるという所にことがらの重点が置かれているように思える。そしてまた終末論は、未来の先取りとして、現実の私たちの今の世界で生活する中において、すでに終末の喜びを味わっているのだとみる立場も考えられる。しかしもっと強烈には、未来の終末時に悪が根こそぎ滅亡し、サタンは失墜してその力を失い、死もまたその効力を発揮できない時を迎えるのである。このような未来を凝視しつつ、現在の悪の勢力と決死の戦いをすることに、未来の信仰の姿があるのだということを知るのである。
このように、黙示録は、今や私たちと遠い関係にある書ではなく、最も身近な書として私たちの目前に置かれています。この書を取り上げて深く主の御心を伺い、信仰生活を全うするものとされたいものです。旧新約聖書六十六巻において、黙示録が最後尾に置かれているのは、決して偶然ではない。「『しかり。わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください」(黙22.20)という最後の言葉において明らかなように、本書は人間の応答をもって終わるのである。人間はすべて神の前に応答する存在として造られている。これは人間の特権である。しかし、その特権を無視して、神の前に応答しない者たちがこの世には数多く存在する。
私たちはひたすら終末を待望しつつ、悪の勢力と必死に戦い、宣教のわざに励まなければなりません。私たちは、神の御守りを祈りながら前進しようではありませんか。
(了)