恐れるな

今日、帰りの電車の中で、ふと以下の御言葉(みことば)が心に浮かびました。聖書を開いてみましょう。

たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
(イザヤ書41章10節)

私はこの御言葉を小さく声に出します。

(恐れるな。わたしはあなたとともにいる)

そうすると、確かにイエスさまがわたしとともにおられることを確信し、そしていわれのない恐れはかき消えていくのです。

私たちはなぜ恐れるのでしょうね。恐れる。何かにおびえる。不安になる。きっと弱いからですね。でも私たちが弱いというのは真実です。私たちは弱くて小さい。愚かで、はかない存在です。

私もいろんなことをよく恐れてしまいます。恐れを感じるとき、いろんなものに逃げ込みたくなります。お酒とか、無意味な行動とか、人にあたったり、わざとちょっとしたいじわるをしたり、むやみとお金を使ったり。何か、こう、弱さをごまかしたいのですね。

でも、やっぱり神さまに立ち返るのが一番正しく、一番の早道です。信仰の基本に戻って、聖書を読み、細かなことから大きなことまで祈り、主を賛美する。神さまに心を開く。罪を告白し、悔い改め、ゆるしていない相手のことをゆるすと神さまに宣言し…神さまに立ち返り、自分の弱さをこそ神さまにさらけだし、自分が恐れていることをも、神さまに祈りを通してお話する。

そして!!!。 静かに「聞く」。

(しもべは聞きます。主よ、お語り下さい)

そうやって、神さまとの親しき交わりを味わうとき、いつのまにか、自分が神さまに満たされていることを知るのです。

それは、愛する人とのひとときと少し似ています。今直面している問題がドラスティックに変化したわけではないのに、
なぜか心が満たされて、強められて、励まされて、「よしっ」と再び立ち上がることができる。神さまとの親しき交わりは、それとよく似ています。私たちの存在の方が、神さまのアナロジーなのですが。

ともあれ、全き愛は恐れを締め出す。
聖書には、366回も、神様から「恐れるな」という言葉が語られているそうです。「恐怖」には人の心を汚染する力があり、人は「恐怖」に縛り付けられ、それによって二度と元に戻ることができない状況にまで追い込まれるのです。聖書に立ち返り、いつもともにおられるイエスさまに立ち返り、神さまの愛に満たされるとき、どんな問題も、本当の問題ではありません。