今日は。すっかり秋の雰囲気ですね。もう半そでシャツは、引き出しにしまい込んで長袖で生活しております。
さて、もうだいぶ時が過ぎましたが、NHKで「しずかちゃんとパパ」というドラマが放映されたのを記憶しておられる方も少なくはないと思います。
本日は、そのドラマについて記します。
舞台は父一人娘一人の父子家庭。 父は生まれながらに耳が聞こえないろう者。 父の耳代わり口代わりを務めてきた娘(しずか)が、 ひょんなことから出会った男(圭一)と恋に落ち、
結婚するまでの親離れ子離れのてんまつを 明るく温かく描くホームコメディです!
2022年3月13日に初回が放映され、同年5月1日に8回の番組は放送終了するという、短編仕立てであるが、結構味のある番組でした。
放送の順にあらすじをご紹介します。
(1)「ケバブサンドの秘密」
初回放送日: 2022年3月13日
•静(吉岡里帆)は写真館を営む父の純介(笑福亭鶴瓶)と二人暮らし。純介は生まれつき聴覚障害を抱え、同じくろう者だった母は静が幼い頃に他界している。耳の聞こえる静は純介の通訳代わりを務めてきたため、相手を見つめたり、身ぶり手ぶりで話すクセがある。それを「こび」とか「ガサツ」と受け止められ、傷つくことも多い。ある日、バイト先で面識のある圭一(中島裕翔)がケバブの屋台でつるし上げられている場面に出くわす。
(2)「聞こえない音楽会」
2回放送日: 2022年3月20日
•静(吉岡里帆)が純介(笑福亭鶴瓶)と一緒に出席したスマートシティー計画の説明会に、開発業者の一員として圭一(中島裕翔)が現れた。カタカナ交じりの説明で煙に巻こうとする業者に対し、純介は手話を静に通訳して貰いながら反対の立場を表明する。商店街の仲間からヤジが飛び交う中、いきなり圭一が子どもの頃のランドセルの思い出話を語りはじめる。ぽかんとする一同だが、静だけは圭一の言わんとすることを理解できた…。
(3)「空飛ぶ自転車」
3回放送日: 2022年3月27日
•静(吉岡里帆)は圭一(中島裕翔)と音楽会に行ったことを純介(笑福亭鶴瓶)に言えずにいた。そうとは知らず純介はさくら(木村多江)の小学校の卒業アルバム作りを楽しんでいたが、学校へのバス路線が廃止となることを知りショックを受ける。一方、静はリサイクル店で康隆(稲葉友)から開発会社の準備室が市役所に出来ることを聞かされる。反発する康隆をなだめていると店に圭一が現れ、この町へ引っ越してきたと言う。
(4)「涙のけんちん汁」
4回放送日: 2022年4月3日
•「スマートシティ計画反対」のビラに「確認済」のハンコを押して回る圭一(中島裕翔)に純介(笑福亭鶴瓶)は怒り心頭だが、静(吉岡里帆)は圭一のために弁当を作るほど浮き足だっていた。純介は計画阻止のためけんちん祭りを盛り上げようと商店街の面々に提案、静が祭りのチラシを圭一に渡すと「参加したい」と興味を示す。と、そこへ長谷川真琴(藤井美菜)が現われ、「相変わらずね」と挑戦的な視線を静に向ける…。
(5)「パパのいない夜」
5回放送日: 2022年4月10日
•静(吉岡里帆)と圭一(中島裕翔)は初めてのデートに出る。商店街から離れないデートコースにやきもきし通しの静だが、圭一が見せたいものの正体を知り、純介(笑福亭鶴瓶)に圭一との交際を打ち明ける決心をする。一方、純介はカフェに押しかけ、さくら(木村多江)に祭りの写真を見せていた。一人息子と離れ離れになった寂しさを打ち明けるさくらに同情した純介は、帰宅すると静に東京で開かれる同窓会に参加すると告げる…。
(6)「この優しい世界」
6回放送日: 2022年4月17日
住民説明会に向かおうとする静(吉岡里帆)だが、純介(笑福亭鶴瓶)は圭一(中島裕翔)の顔を見たくないと抵抗、転んで手足をねん挫する。入院することになった純介の世話で静は説明会に出席できない。一方、圭一が示した商店街の看板を残す計画に人々の心は揺れていた。そこへ真琴(藤井美菜)が現れる。実は梅子(萩尾みどり)の親戚だったのだ。静と鉢合わせした真琴は「優しい世界」と挑発するような言葉を投げかける。
(7)「パパの深い海の底」
7回放送日: 2022年4月24日
圭一(中島裕翔)から「東京に戻るときは一緒に暮らしたい」と言われた静(吉岡里帆)だが、まだ返事をできずにいた。圭一のことを話そうとすると純介(笑福亭鶴瓶)がそっぽを向くためだ。一方、圭一は海外赴任のチャンスが巡ってきたことを静に相談できずにいた。静が純介を一人にすることを心配しているのが痛いほどわかるためだ。お互いが相手を思いやり身動きできずにいると、圭一の母(宮田早苗)が野々村写真館を訪れる…。
(8)「紙吹雪の中で」
8回放送日: 2022年5月1日
圭一(中島裕翔)から海外赴任についてきてほしいと言われた静(吉岡里帆)が、純介(笑福亭鶴瓶)を一人にすることはできないと断りのメールを送った翌日。公園で落ち込む静のもとに圭一が現れ、パナマにはついてこなくて良いと伝える。圭一の優しさを受け止める静だが、親子ゲンカをした家には帰りたくない。と、ケバブサンドを買ってきた圭一がシャツについたシミを見せ、「早く落とさないと」と困ったようにつぶやいた…。
( あらすじ )
しずか(吉岡里帆)は写真館を営む父の純介(笑福亭鶴瓶)と二人暮らし。純介は生まれつき聴覚障害を抱え、同じくろう者だった母はしずかが幼い頃に他界している。耳の聞こえるしずかは純介の通訳代わりを務めてきたため、相手を見つめたり、身ぶり手ぶりで話すクセがある。
それを「こび」とか「ガサツ」と受け止められ、傷つくことも多い。しずか(吉岡里帆)が純介(笑福亭鶴瓶)と一緒に出席したスマートシティー計画の説明会に、開発業者の一員として圭一(中島裕翔)が現れた。カタカナ交じりの説明で煙に巻こうとする業者に対し、純介は手話をしずかに通訳して貰いながら反対の立場を表明する。商店街の仲間からヤジが飛び交う中、いきなり圭一が子どもの頃のランドセルの思い出話を語りはじめる。ぽかんとする一同だが、しずかだけは圭一の言わんとすることを理解できた…。
「スマートシティ計画反対」のビラに「確認済」のハンコを押して回る圭一(中島裕翔)に純介(笑福亭鶴瓶)は怒り心頭だが、しずか(吉岡里帆)は圭一のために弁当を作るほど浮き足だっていた。純介は計画阻止のためけんちん祭りを盛り上げようと商店街の面々に提案、しずかが祭りのチラシを圭一に渡すと「参加したい」と興味を示す。と、そこへ、高校で同級だった、長谷川真琴(藤井美菜)が現われ、「相変わらずね」と挑戦的な視線をしずかに向ける…。
ここで「スマートシティー」についての説明に移ります。スマートシティとは「IT技術を用いて生活している人の利便性や快適性の向上を目指す都市」を指します。インターネットが急速に発展し、暮らしにもネットワークが導入され、より快適な生活を送れるようになってきました。スマートシティはそういったネットワーク技術を用いることで、現在利用しているインフラ設備やサービスをより良いものとして、そこに住む人の生活の質を高めることを目標とした都市をスマートシティといいます。街自体の利便性を高くすることを目指している都市です。
NHKの「しずかちゃんとパパ」では、商店の多い、わが街の再開発に、行政側の提案でスマートシティーが計画の俎上に載せられて出てきますが、圭一の構想では、急激な発展を取り上げるプランAと商店街を残すより温厚なプランBが選べるようになっています。近代的な超高層ビルを中心とするスマートシティーには地元の商店街は断固反対です。商店街の住民が受け入れられるのは、このプランBだったようです。しかしITネットワークの整備を期待する行政サイドは、プランAにこだわります。
「しずかちゃんとパパ」では話題の動向は、急接近するしずかちゃんと圭一の関係です。ドラマの中で、「コーダ」という言葉が出てきます。しずかちゃんはコーダだったのです。コーダは英語ではCODAと書きます。「CODA」は「Child
of Deaf Adults」の略語として普通に使われています。「聾唖の親を持つ子供」という意味。実は「しずかちゃんとパパ」は『コーダ あいのうた』
のリメイクです。コーダ あいのうたは、見た方も多いと思いますが、ルビーが音楽大学に合格し、親元を離れて自立するというストーリーです。
一方、「しずかちゃんとパパ」ですが、圭一から「東京に戻るときは一緒に暮らしたい」と言われたしずかですが、まだ返事をできずにいました。圭一のことを話そうとすると純介がそっぽを向くためです。一方、圭一は海外赴任(パナマ)のチャンスが巡ってきたことをしずかに相談できずにいました。しずかとの結婚かパナマ赴任かで悩む圭一ですが、圭一は単身赴任で、しずかと結婚する道を選択します。しずかはパパの気持ちを忖度するものも、最終的には、パパが自活できる道を選ぶように期待を込めて、結婚へハンドルを切るのです。
最終回で、結婚も海外赴任も「成し遂げて」してしまう、しずかですが、地域は、純介の「スマートシティー」賛成に、反対を引っ込め、これを受け入れることに決めます。
さて、このドラマのタイトルが、「しずかちゃんとパパ」なので、主人公は、このお二人、純介としずかだろうと思います。実はそうではないのです。主人公は「静(しずか)」なのです。ドラマでは、しずかの苦しさが、よく描けていなかったので、単なる感動モノとご覧になった方も少なくはないと思います。そこで話を「コーダ」に切り替えます。耳の聴こえない親に育てられた、聴こえる子どもたち「コーダ」は何を抱え、何に苦しんでいるのか。「コーダ」である、五十嵐大君(いきなりですみません)の話に切り替えます。
コーダという言葉が誕生したのは、1983年のアメリカでのこと。以降、アメリカではコーダの研究がさかんに行われ、貧困にもなりがちなコーダを支援するための基金も立ち上げられました。ぼくもそんなコーダのひとりである。ぼくの母は生まれつき耳が聴こえず、父は幼少期に音を失った。そんなふたりのもとで、コーダとして育ったのだ。コーダには特有の生きづらさがある。
たとえば、自身の置かれた環境が“ふつう”ではない、という想いによる葛藤だ。幼い頃、ぼくは“手話”を言語として用い、両親とコミュニケーションを図っていた。けれど、小学校にあがる頃になり、それが“ふつう”ではないことを知った。手を動かし、表情をくるくる変えて“話す”様子を、「おかしい」「珍しい」と揶揄され、なにより手話が世間に通じないことに衝撃を受けたのだ。
聴こえない両親に対する差別もあった。いまでも忘れられないのは、自宅に遊びに来たクラスメイトから言われたひとことだ。
「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」 生まれつき音を知らない母が発する言葉は非常に不明瞭で、聴者からすればなかば滑稽にも響く。それを指摘されたとき、恥ずかしさとともに「両親の耳が聴こえないことを、誰にも知られてはいけない」とさえ思った。
耳が聴こえないことは“ふつう”ではない。それを知られたら、馬鹿にされるのだ。そうやってぼくは、大好きだったはずの両親のことをひた隠しにするようになり、次第に彼らを疎ましく思うようになっていった。
どうして障害者の家に生まれてこなきゃいけなかったんだよ――。
思春期の頃、こんな言葉を何度も両親にぶつけた。彼らが悪いわけではない。そんなことはわかりきっていた。それでもやり場のない怒りを持て余し、傷つけることを知っていながらも、彼らを責めたのだ。その都度、母は「ごめんね」と力なく謝るのだ。
母の「ごめんね」にはどんな想いが込められていたのだろう。当時のことを思い返すと、いまでも後悔の念で一杯になる。
ろう者でも聴者でもない、コーダ特有の生きづらさ。大人になってからも、コーダとして生まれてきたことで感じる生きづらさは消えなかった。しかし、それを他者に理解してもらうのは難しい。
聴者からすれば、耳の聴こえるぼくもただの聴者である。けれど、そうではない。ぼくはろう者でもなく、聴者でもない。聴こえない世界と聴こえる世界を行き来しているのに、そのどちらにも居場所がない感覚にずっと苛まれ続けてきた。
そんな寄る辺なさと決着をつけられたのは、コーダという言葉に出合ったことがきっかけだった。
ぼくはろう者でもなく聴者でもなく、コーダなんだ。自分自身が安心して腰を下ろせる場所が見つかり、しかもそこには同じような仲間が大勢いる。その事実はこれ以上ないくらいの“救い”になったのだ。
しかしながら、やはり第三者にコーダについて説明するのは骨が折れる。
「聴こえない親に育てられたとはいえ、あなたは聴こえるんだから問題ないんでしょ?」。そのようなことを何度も訊かれた。そのたびに上述した感覚について共有しようとするのだが、なかなか理解されない。
そんななかで出合ったのが一冊の小説、丸山正樹さんのデビュー作『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』だった。
コーダを描いた小説『デフ・ヴォイス』を読んで
元警察事務職員の荒井尚人を主人公に据えた本作は、過去と現在、ふたつの殺人事件がリンクしていくミステリー小説だ。
荒井はコーダとして生まれた。聴こえない両親や兄と異なり、家族のなかで聴こえるのは自分だけ。家族なのに、わかり合えない。そんな孤独感と常に隣り合わせだった。故に、荒井はろう文化と距離を置いてきた。しかし、仕事に失敗したことを機に、唯一の技能でもある“手話”を活かし、手話通訳士として働くことになる。その矢先、荒井はひとりのろう者の法廷通訳を担当することになり、不可解な事件に巻き込まれていくことになる。
事件の真相が明らかになっていく流れは圧巻のひとこと。けれど、なによりも素晴らしいのは、ろう者やコーダ、手話の在り方、独特のろう文化などについて丁寧に描かれているところにある。
荒井の職業である手話通訳士。ろう者にとって彼のような存在がどれほど大切なものか、聴者はうまく想像することができないだろう。新型コロナウイルスの会見映像でも、会場にいたはずの手話通訳士の姿が映し出されていないことが大きな話題となった。手話通訳がなければ、ろう者に正しい情報が届かない。それなのに手話通訳士が軽んじられている。その原因は、聴者のろう文化に関する認識不足に他ならない。
ろう者にとっての手話はどういったものなのか、そして彼らはいかに聴者の世界で虐げられてきたのか。本作を読めば、その一端に触れることができる。ときに痛みを伴うほど切実な筆致に、涙する場面もあるくらいだ。
そして、コーダである荒井自身の葛藤についても深堀りされている。
ある人物が、荒井に問いかける。
“おじさんは、私たちの味方? それとも敵?”
この問いは「あなたはろう者? それとも(ろう者を理解できない)聴者?」と置き換えられる。けれど、荒井はうまく答えることができない。自分はろう者なのか、聴者なのか。何度も自問を繰り返してきたが、答えなど見つけられなかったのだ。
この荒井の葛藤は、まさにぼく自身が感じてきたことだった。ところが荒井は、事件の真相へと近づくなかで、自分自身の生い立ちとも決着をつけることになる。ろう者への差別や偏見によって起きてしまった哀しい事件が解決へと向かうなか、荒井もひとつの答えを見出す。
“荒井は、ずっと考えていた。自分は、どちら側の人間なのか、と。”
荒井が辿り着いた答えは、まさに現実を生きるコーダが手にするそれとイコールだろう。複雑でややこしくて、なかなか理解されない。本作のラストでは、そんなコーダの胸の内が荒井によって代弁される。そのラストシーンを読んだとき、荒井はぼく自身なのだと感じた。
手話通訳士としてろう者たちと関わり続ける荒井。ぼくはひとりのコーダとして、これからも彼の生き様を追いかけていきたい。
●筆者プロフィール
五十嵐 大/いがらしだい フリーランスのライター・編集者。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。現在、2冊の著書を執筆中。
https://twitter.com/igarashidai0729
●『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』
生活のため手話通訳士となった荒井尚人。ある時、彼の法廷通訳ぶりを目にした福祉団体の女性が接近してくる――。知られざるろう者の世界を描く感動の社会派ミステリ。書評サイト「読者メーター」で話題となり、シリーズ第二弾『龍の耳を君に』(創元推理文庫)、第三弾『慟哭は聴こえない』(東京創元社)も好評を博している。
(了)