マイナスをプラスに変える

皆さん今日は。本日は、「マイナスをプラスに変える」というタイトルで学びを進めていきたいと思います。

私の敬愛する先生の著作に、「真実を求めて~司祭と臨床心理士との対話」(速水敏彦)があります。この本の中に、「マイナスをプラスに変える」という一章があって、その個所をご紹介します。
まず、新改訳聖書のローマ人への手紙5:1~11を拝読します。

ローマ人への手紙 5章1-11
「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらです。 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。」

*****(以上新改訳聖書から引用)(以下は速水先生のことば)***********************************************************
私は3つのことを確信しているんですよ。それはね、この人生において、マイナスだと思われること、①病気でも②失恋でも③失敗、④挫折でも、そういうことには、必ず積極的な意味があるということ。それからトランプのゲームじゃないけど、マイナスは必ずプラスに変えられる、確信みたいなものがある。

マイナスにあっても決してへこたれないで、マイナスをプラスに変えられるという想いね。それからもう一つは、人生には絶体絶命の破局、っていうのはない。これはパウロが言っているけど、神様はそこを切り抜ける力を与えて下さっているって。死でさえも、「もうだめだ」ってことではない。そこから新しい道が開けるんだって。

本当のもの、真実に出会うのは、幸せな時、成功した時もそうかもしれないけど、むしろ苦しみとか悲しみとか悩みとか、そういうときにこそ真実に出会うんじゃないかな?ちょっとカッコよく言えば、人生の墓場と思えるようなところにこそ、イエスさまが微笑んで立っていて下さる。そういうことをね、自分に言い聞かせているんですよ。

(以上速水司祭の書物から)

太平洋戦争は大失敗でした。戦後77年が経過し、日本人として大いに反省しています。しかし、失敗から教訓をくみ取り、それを革新(イノベーション)に生かしていく努力が日本人によって進められていったのです。
私が32年前に購入した書籍で今でも捨てずに手元に置いている本の中に、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)(作者: 戸部良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎)」があります。

最近のニュースを見ていたりすると、なんとなく「日本人のあまり良くない側面が、物事を悪い方向に引っ張ってるんじゃないか」と感じることが多くなりました。その「日本人のあまり良くない側面」が災いして大失敗したのが、77年前の戦争です。そして、この「失敗」を社会科学的に分析してまとめた本が、有名な「失敗の本質」という書籍です。読み物として一番面白いのは2章ではないかと思います。分かってるなら直せばいいのに、と思ったりもしますが、何十年経っても変わらないのは、こうした考えや振る舞いが、もはや「日本人の文化」として社会に染みついてしまっているからなのかもしれません。
個人的にグサッと刺さったのは、「新たな知識を獲得するために、既存の知識を捨てる学習・棄却( UNLEARNING )ができるかどうか」という部分です。うまくいっている期間が続くと守りに入ってしまうというか、「今の知識を捨てて新しい知識を取り入れる」という行動が取りにくくなってしまう気がします。

「失敗の本質」を読んで、私自身も昔に比べると、そういう傾向が出てきてるんじゃないか?と少し怖くなりました。なので、折に触れて本書を読み直し、意識的に自分自身を変化させていく必要があると思いました。
著者のおひとりに「野中郁次郎(のなかいくじろう)氏」がおりますが、1936年に生誕され、現在86歳です。氏は、日本の経営学者、一橋大学名誉教授、カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授です。 知識経営の生みの親として知られ、上記著作(失敗の本質)の成果をナレッジマネジメントという言葉に反映させました。組織や個人の中にある知識を共有し、生み出された高度な知識を経営に生かす理論が「ナレッジマネジメント」です。この理論はこれまで多くの企業によって実践されてきました。暗黙の知識を創造的な経営に生かす「ナレッジマネジメント」企業や社員の持つ知識・経験などを共有して、創造的な経営を実践することです。野中教授によると、組織が持つ知識には「暗黙知」と「形式知」の2種類がある。暗黙知とは、個人が持つ知識やノウハウ、長年の勘などのこと。一方の形式知は、言葉や図表などの形でデータ化された知識のことを指している。この暗黙知を形式知に転換して共有し、組織全体を知的に進化させることがナレッジマネジメントの基本的な考え方です。暗黙知から形式知への転換は「SECI(セキ)モデル」というフレームワークに基づいてます。
SECIモデルには「共同化」「表出化」「結合化」「内面化」という4つのプロセスがあり、これらを絶えず繰り返すことでさらに高度な知識が生み出されるといいます。ナレッジマネジメントの基礎理念は、日本企業のイノベーション手法に着想を得た野中教授によって提唱されました。「暗黙知」「形式知」や「SECI(セキ)モデル」といった概念や手法は多くの企業に取り入れられており、さらに米国や中国など海外にも大きな影響を与えています。ナレッジマネジメントがどのように実践され、それが企業間の国際的な競争にどのような影響を与えていくのか、これからも見守っていきたいですね。
聖書のお話が、世俗的な話になってしまいました。
最後に、速水司祭の言葉をもう一度書きます。人生の墓場と思えるようなところにこそ、イエスさまが微笑んで立っていて下さる。そういうことをね、自分に言い聞かせているんですよ。

(以上です)