皆さんおはようございます。本日は福音の時間です。12時まで、福音の話をお聞きください。
福音とはイエス‐キリストによってもたらされた神からの喜びのおとずれです。福音は英語では、GOOD NEWSつまり良き知らせのことを言います。つまり
罪からの救済のしらせです。すでに何回か他の兄弟たちが、イエス様が、十字架上で血を流して下さり死なれたことで、悪魔からの束縛を解放してくださったまたイエスを信じる者には、永遠のいのちが与えられるということが福音の意味です。
人間は神からつくられたのですが、悪魔の誘惑に騙され罪を犯してしまいました。このお話は、創世記3章にあります。3章4節に、「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの眼が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」悪魔の言葉は、園の中央にある木の実と同様、誘惑でした。すなわち、「その木は、まことに食べるのによく、目に慕わしく、賢くするという木は、いかにも好ましく見えました。」女はその実をとって食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」食べた後、二人の眼は開かれ、自分たちが裸であり、生まれたままの姿であることに気が付きます。彼らは、エデンの園を歩き回られる神の声を聞くのです。罪を犯した人は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠します。神である主は、人に呼びかけ、アダムに仰せられた。「あなたはどこにいるのか。」
神である主は、悪魔に言われます。
14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
15 わたしは、おまえと女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
20 さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。
21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
人間が罪を犯す場面を再現しました。罪を犯した人間はいろんなことを緑と水にあふれる地球にします。自分たちが豊かになるため、地球を破壊し、生物を迫害し、植物を食い荒らすのです。その結果、環境破壊が起き、気候変動が起こり、海の豊かさ、陸の豊かさが損なわれるのです。人間同士で争いが生じ、経済格差が生まれます。
国連では、SDGSなるものを推奨しています。SDGSとは、持続可能な開発目標の略です。国連だけではなく、政府や自治体、民間企業や住民組織などが、SDGSを声高く叫ばれております。国連では、われわれの世界を変革する、とか、貧困や飢餓を撲滅するとか、壮大な目標を掲げています。日常生活でも、普段のくらしで何を買うのか、何を食べるべきか、そして身近な困難をどう乗り越えていくかといったことが、すべてSDGSとかかわっています。日本にある大規模な団地のほとんどは、高度成長時代に急増したもので、入居者の年齢は一斉に高齢化しており、団地内でもコミュニティー活動が続けられず、孤立した独居老人が増加、貧困に陥ったり、孤独死する方も珍しくありません。建物を含めたインフラは老朽化し、空き家が増加、バスや電車などの公共交通機関が維持できなくなることで、施設の改修などもままならない事態が増えております。実は、今の日本や世界の経済、社会、環境をめぐる状況はこの団地と似ているのです。解決すべき複数の課題が、複雑に絡み合い、どこから手を付ければよいか、わからない状態なのです。
私たちは地球上に住んでいます。そして地球上の資源を贅沢に浪費しているのです。2024年ですが、地球が一年間で再生産できる資源の1.7倍を消費しています。日本のような先進国では、さらに多くの資源の消費で、世界中の人間が日本人並みの生活をしたら、2.8倍もの消費量にもなります。地球が再生産できる量を超えて人類が資源を消費できるようになった時期は、およそ50年前からと言われています。
世代間で広がる格差、地球の資源を浪費し続けた結果として、立て続けに起きているのが、自然環境の激変や異常事態の発生です。世界中で、野生の動植物が急激に減少しており、少なくとも約100万種の動植物が絶滅の危機にあると言います。最近起こったのが、新型コロナのパンデミックです。新型コロナは、野生動物を起源とする新しい感染症ですが、新しく生まれたウィルスではありません。長い間特定の野生動物だけに棲みついていたものが、自然破壊や気候変動などにより、人間と接触する機会が増えて流行しました。さらに、グローバル化により世界中で人や物が移動を繰り返すことで急速に拡散しました。自然破壊と動物由来感染症との関係性は、国連をはじめとする複数の国際機関などで、あらゆる政策決定に、「人・動物・環境」の健康を一体のものとしてとらえる、「ワンヘルス」という考え方を導入する必要性が掲げられています。人類の活動は明らかに、地球の限界を超えてしまっているのです。極端な貧困状態とされる人々は、世界人口のおよそ10%にあたる7億人以上に上る、また世界人口の55%が社会保険を利用できない状況にある。こうした貧困家庭の人々は、教育を受けられない、医療や社会保障、インターネットなどの基本的なサービスにもアクセスしにくい、また劣悪な環境でも働かざるを得ないことが多く、暴力にもさらされやすい。そして、紛争や災害が起きたり、感染症が広がると真っ先に過酷な状況に追い込まれる。貧困と格差もまた、現代の社会・経済システムが生み出したものである。ある統計では、世界の富裕層26人の富の合計は、世界人口の約半数(38億人)の富の合計と同じである。現在の経済・社会システムの中で作られた不平等、貧困や飢餓などは、「構造的暴力」とよばれ、構造的暴力を解消するためには、食糧配給などの対症療法だけでは全く不十分で、社会構造を根本から変革する必要がある。あまりにもバランスが悪くなったこの世界を変えるためには、世界の大胆な転換を求めるSDGSがつくられたといえる。
SDGSには17のゴールがあるが、大別すると五つのPとして分類される。それら五つは、PEOPLE, PROSPERITY,PLANET,PEACE,PARTNERSHIPである。この5つのpが変革できれば、我々人類は、危機をのがれられるのです。
今までは、国連の唱えたSDGSを中心に述べてきた。地球的規模の危機から「理性」によって、のがれることができるだろうか。賢明なクリスチャンたちは、今の世界は、「とりつかれた世界」であり、不合理性や恐怖を生み出す、イデオロギーや悪魔的なものの氾濫する世界であるとみています。戦後の世界では、私たちの技術と生産能力は急上昇したが、SDGSで述べられた問題も広がっている。現代社会の病弊は、専門技術の促進によって、解決されるという楽観論者も多いが、こうした見解は現代の諸問題に対して乱暴すぎると感じる。病院の精神科医の診療室は病人であふれ、私たちの多くはもはや将来の計画を立てることができない。運命論に陥るか、自分自身の小さな世界に逃げ込むかしてしまわなければならない。
「私たちの世界はとりつかれた世界」である。
「人間も社会も、自らの手で作り上げた事柄や力を信仰するものであるということを、私たちは聖書から知っている。繁栄、救い、健康、保護などを追求するときに、遅かれ早かれ人々は神を作り出す。しかし神々は、自分を作り出した者を決して放ってはおかない。人々が神々に依存するので、神々の事柄や力が優位に立つ時が必ず来る。それらの事柄や力は、それを作り出した者たちを裏切り得る神々、すなわち、偶像となり、自らの(創造者)たちを支配する。だから、私たちの手で勝手に作り出した進歩の手段である「経済」「科学技術」「科学」「国家」が、今日のような力をもち、神々として思いのままに振舞っているのは、十分理解できる。
今偶像について述べました。偶像というのは神の代用品、罪からの解放をもたらさない、人間が作り上げたものです。
偶像と似たものに、「イデオロギー」という言葉があります。私たちは、とりつかれた世界に生きており、この世界は、不合理性や恐怖を生み出すイデオロギーや悪魔的なものの氾濫する世界です。SDGSで注意しなければならないことは、問題を解決しようとすると、途端に問題のほとんどは一層悪化し始めることを歴史は教えてくれます。
私たちは解決しようとして、かえって問題を硬直させたり、更に新しく重大な問題を引き起こしたりしているのです。私たちの解決法が私たちを不利な立場に追いやり、徐々に独り歩きし、知らないところで自律的になっていきます。貧困や病気を軽減し、収穫高を上げ、より早い輸送手段には何とか達成しようとしてはいます。しかし、そのような努力は、逆に都市の交通渋滞、慢性的な福祉依存、最貧国の飢餓と経済依存状態への凋落、野放図な軍拡競争、国家の官僚化などが起こり、解決されつつある問題以上に、深刻で厄介な問題が発生するのです。ある点で、成長の力というものは、自分たち以上に力を持つようになった。
ある哲学者はこの状況を嘆きつつ、「進歩自体が進歩し続けている。自分たちは、もはや止めることも、その向きを変えることもできない。」と言っています。
敵は技術、経済、科学、国家、企業といったものではない。本当の敵は、時にこれらの力を圧制的な偶像に変える私たち自身の内にいるのです。新たな革命、新たな国家、新たな物質的繁栄、安全な社会に夢中になっても、新たな破壊主義に陥り、露と消えるだけです。全面的な革命をしたところで、それは果てしない暴力崇拝にすぎません。そしてこの暴力こそ、進歩の力よりもいっそう非道で、冷酷な偶像なのです。
私たちの社会は、目の前に二つしかとるべき道はない。一つは私たちの生活を聖書的方法に合わせることであり、正しくいき、隣人を愛し、良き管理人として神の被造物をおさめることです。これは従順の道です。これは、私たちがあらゆる人間的・社会的目標を断念することを意味しません。しかし、私たちの目標がこれらの極めて深い生活原理と一致しないなら、ただちに目標を隅に押しやるか、そうでなければ徹底的に再調整しなければなりません。
もう一つの道は、生活を私たちの目標に合わせることです。この道筋は、聖書の基準と生活規則を定義しなおすことになります。目的達成のために必要な手段は、その際、私たちをひっきりなしに痛めつけることになります。それにもかかわらず、認めると認めないとを問わず、私たちはそれらの手段を握りしめます。そして、他の選択の余地はない、人生においては誰でも手を汚さざるを得ないと自らに納得させるのです。何よりも大切な目標が不安定な状態にあるということで、自分たちの行動を正当化することになります。人間的であれ、政治的であれ、他に取るべき道はありません。
聖書の規範を優先させ、私たちの目標を相対化するか、聖書の規範を相対化するかのどちらかしかありません。
従って、福音とイデオロギー、イエスに従うことと偶像に仕えることの間には、今日、大きな緊張関係が存在するのです。その対照は、カミソリの刃のように鋭い。キリストがこの世の力に打ち勝ち、その力を笑いものにしてしまうためには、たった一つの方法しかありませんでした。彼(イエス)は自分の幸福を求めず、あらゆる権力の追求から一歩退き、神の御子としてのアイディンテティーを求めることよりむしろ、神の命令に従うことを選んだのです。
多くのキリスト者は、自分の救い主についてのこのような知識を、組織的に押しつぶしてしまったようである。彼ら(多くのキリスト者)は、自分自身の目標を選択し、自らを種々のイデオロギーに引き渡し、そうして悪魔的力を無意識のうちに礼拝しています。神の国ではなく、自分自身の国を建てたのです。そうした道程を進むことが、彼らの政治的崩壊の最も深い原因でした。それはまたキリスト教会の崩壊でもあります。
最後に、聖書 のコロサイ人の手紙2章11節から15節までをお読みしたいと思います。この個所は創世記3章と対になっています。
11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。
(以上)