リバイバルについて(信仰復興とは)

ようやく涼しさが日本にも戻ってきました。夕方には虫の音が心地よいです。


本日は、リバイバルについて、調べてみました。日本語では、信仰復興です。

信仰復興(しんこうふっこう)「リバイバル」

神の民(クリスチャン)に与えられた聖霊による、霊的覚醒のこと。神の愛とその聖なる臨在が明確に顕現され、信仰的に眠っていたものが覚醒され、配信の民が神に立ち返り、未信者が回心し、キリスト者としての意識を明確にし、信仰者がその使命を世にあって実行するに至る。信仰復興は、個人の中から始まったとしても、決して個人にとどまらず、集団的な規模で広がっていく一つの「聖霊による覚醒運動」である。
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参考までに記しますが、1970年代から1990年代前半にかけて、日本でもリバイバルミッションがありました。甲子園は熱かったです。
しかし90年以降、運動は停滞し、参加者の覚醒された心は、漸次、冷却していきました。
リバイバルミッション、とはキリスト教福音伝道の運動体。超教派で伝道大会、聖会を開催していました。1970年、滝元明、田中政男により設立。有賀喜一、平岡修治、滝元順が顧問を務める。関連する神学校にリバイバル聖書神学校。1993年に甲子園で開催された甲子園リバイバルミッションに、日本の福音派は広範に協力をし、延べ12万4千人におよぶ参加者を集めた。この大会の前に、日本の各地で、賛同する個人や教会を中心に決起集会を開催して盛り上げて本番を迎えるという、日本のクリスチャンが主催したものとしては画期的なものであった。リバイバルミッションに賛同するグループは、日本の教会の中で一つの勢力となったといわれている。この運動が契機になって1996年に日本リバイバル同盟が設立される。


1998年に東京の武道館で開催された東京リバイバルミッションは、聖霊派の参加が多くなり、距離をおく福音派もあらわれたが、福音派と聖霊派の協力を願って尾山令仁が大会会長を務めた。
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旧約聖書の時代以来、個人の信仰生活においても、民のレベルにおいても、信仰と霊性は必ずしも満足なレベルに一定していない。神は信仰者が「いのちを得、またそれを豊かに持つ」(ヨハネ10:10)ことを望んでいても、現実の霊性が、その水準よりはるかに下を低迷していることもある。使徒の時代からしばらくすれば、信仰が生ぬるくなってしまい、「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」(黙示録3:1)という教会も生まれてくる。物質的繁栄と安定、世との妥協、霊的指導者の欠如、教会の自己防衛的姿勢、教会内の政治的闘争、分裂、宗教の制度化、というものが教会の性質と使命を損なうと、その霊的活力の著しい低下を見る。
しかし、聖書においてそのような状態の民や教会にも、聖霊の働きによって再びいのちが与えられ、生かされる可能性が繰り返し約束されている。干からびた骨に神は宣言されているー-「見よ、私がお前たちの中に息を吹きいれるので、おまえたちは生き返る」(エゼキエル37:5、 ヨエル2:25-28、 マラキ3:17)。また、復興のための祈りも、数多く登場する。「主よ、ネゲブの流れのように、私たちの捕らわれ人を帰らせてください」(詩篇126:4)、「私たちの日を昔のように新しくしてください」(哀歌5:21)。こうして、旧約聖書の時代にも、幾たびも信仰復興が民族的レベルでなされた。
ペンテコステ後のユダヤ・サマリヤの都市でのリバイバルの現象は、聖霊降臨による新しい時代の到来として、使徒の働きに詳しく描かれている。
(使徒2:1-41)
「五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルデヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた、その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」
初代教会時代のモンタノス運動、中世のクリュニー修道院の改革、ベルナルドゥスやフランチェスコ修道会結成、ボヘミアのフスの運動、これらはいずれも、既存教会の霊的な低迷状態から脱却するという意味での覚醒運動である。16世紀のルターに始まる宗教改革は福音の再発見による教会改革となり、広くヨーロッパ全土に影響を与え、カトリック側でもスペインのザビエルらにみられるように、教会の信仰と使命に関して新しい確信が覚醒されている。17世紀にプロテスタント信仰が形式化され、生き生きとした信仰が陰ると、ドイツではシュペーナーやフランケによる敬虔主義が起こる。また、理神論にむしばまれ、道徳的に荒廃していた18世紀の英国ではメソジスト運動が展開され、18-19世紀アメリカにおいては、大覚醒とよばれるように、信仰復興の波が2度にわたって全国的レベルに発展したこともある。日本においても、1883年に横浜から始まったリバイバルや、翌年同志社でのもの、1901年、小崎弘道が指導した20世紀大挙伝道、バクストン、中田重治、笹尾鉄三郎に率いられた大正・昭和初期のホーリネス派のリバイバル、蔦田 二雄(つただ つぎお)が指導したリバイバル・リーグと覚醒運動のたびに、キリスト教会が大きく発展してきた。現代では、韓国や中央アフリカ、南米の各地で、信仰覚醒が広がっている。
信仰復興の訴えは、旧約・新約聖書共に数多く見出すことができるが、その代表的聖句として頻繁に取り上げられるのが、第二歴代誌7:14であろう。「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」
この聖句から、信仰覚醒の特性、また条件といわれている事柄をいかにいくつか列挙してみる。
① (とうぜんのことであるが)この霊的な一代現象の挑戦を受けているのは、神を知らない世ではなく、神の民として立てられている信仰者と教会である。復興され、覚醒されなければならないのは、キリストの教会であった。現代の教会の状況は、第二歴代誌15:3-6に似ている。
「長年の間、イスラエルにはまことの神なく、教師となる祭司もなく、律法もありませんでした。しかし、その悩みのときに、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、この方を尋ね求めたところ、彼らにご自身を示してくださいました。この時期には、出て行く者にも、入って来る者にも平安がありませんでした。国々に住むすべての人々に大きな恐慌があったからです。そして彼らは、民は民に、町は町に相逆らい、共に打ち砕かれてしまいました。神があらゆる苦しみをもって、彼らをかき乱されたからです。」霊的貧困、政治的・経済的不安定が社会全体の特色であった。その中で、預言者はアサ王を励ましている。「しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。」時代の状況がどうあれ、民全体の状態が、町全体の状況がどうあれ、信仰復興を起こすためのカギとなっているのは、「あなたがたこそ」もしくは「私の名を呼び求めているわたしの民」という少数の信仰の民であり、リバイバルはそうした人々の熱心な祈りから始まるのである。
② 信仰者が自らの罪を悔い改め、熱心に神を求めることが、信仰復興の条件になっている。また、聖霊による強い認罪感(にんざいかん)は、信仰復興の特性である。(サムエルの改革のときにも、アサ王の改革のときにも)神殿から「忌むべきもの」が取り除かれ、主の祭壇は新しくされている。( 第一サムエル7:3, 第二歴代15:8 )。カルメル山上のエリヤも、天からの火と大雨を期待する前に、壊れていた主の祭壇を民の前で建て直している(第一列王18:30)。
後のヨシヤの時代には、偶像や異教的な祭祀が徹底的に排除され、神殿男娼が追い出されたことが記されている。(第二列王記23:4-23)
使徒の時代に聖霊の一大覚醒が始まったとき、ペテロの説教に対して、まず聴衆が「心を刺され、…『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』」と認罪感に打たれている。(使徒2:37)
またウェスレーの時代のリバイバルにおいても、悔い改めが信仰復興の特性であったことを示している。覚醒の現象が聖霊の働きであると確信する最大の理由としてウェスリーが挙げているのは「酩酊者が真面目で節度のある生活を始めた。遊郭へ足を運んでいたものが姦淫の罪を捨てた。不正を行う者が抑圧と不義から離れた。何年もの間、のろって暴言を吐くことを習慣としていた者が、その習慣を断ち切った。浮浪者が働き始め、今では生計を立てている。守銭奴が貧しい人々に施すことを、裸の者に着せることを学んだ。まさに、彼らの生活の全貌が変わったのであるという、悔い改めとそれに基づく人々の生活である。
③ 信仰復興は、今まで霊的に死んでいた背信の民が回復されるという現象であるが、そこには、背信をゆるし、回復させる神の愛/神の「親しさ」を体験した喜びがあふれる。過去において、悔い改めや罪の赦しに付随する「感情」に振り回された復興運動がなかったわけではない。しかし、霊的な覚醒は、確かにその人物の感性をも覚醒し、―旧約聖書では、「声をあげて」「大声をあげて」という言葉が繰り返し登場するー、わき上がる感情は賛美やあかしに生き生きと表現されるのである。教会史の中で、リバイバルは多くの讃美歌を生み出し、そうして生まれた讃美歌は、回心や覚醒の体験と喜びとが連続的に人々に伝わり広まっていくものであることをあかししている。チャールズ・ウェスリー、ファニー・クロスビー、アイラ・ディヴィド・サンキ、日本の中田羽後と
『リヴイヴル聖歌』などの存在は、信仰覚醒と賛美の密接な関係を示している。
④ 信仰覚醒と伝道・宣教とは、決して同義語ではないが、密接な連関を持っている。救いの喜びは、教会内に充満するだけでなく、積極的に外へと向かい、キリストの宣教命令を強く打ち出すことになる。歴史を見ると、19世紀中盤のアメリカの大規模な覚醒運動では、メソジスト教会員が10年間に157万から200万という数に、バプテスト会員が110万から135万に、長老派が50万から60万、という数に成長したとされている。
⑤ 信仰復興は、もともと霊的・信仰的な覚醒現象であるが、それが宣教熱をもって拡大し、また「大覚醒」と呼ばれるような国家的レベルにまで拡大する時、「地をいやす」といえるような社会改革を生み出す。過去においては、奴隷制反対運動や人種差別反対などの運動が、覚醒された教会から進められたとともに、貧困救済や慈善団体、学校や病院なども数多く生み出されてきた。
そうした社会改革が果たして信仰覚醒の本質的要因なのか偶発的結果なのか議論されてきた問題ではあるが、いつの時代でも、信仰が覚醒されることによって、人間生活の全般に及ぶところの福音の力と意義とが新たに問われてきたことは確かである。
現代のプロテスタント教会内でのリバイバリズムというものの源流は、18世紀の米大陸におけるエドワーズや英国におけるウェスリー、英米におけるホウィットフィールドに求めることができる。この源流の中から、19世紀アメリカのフィニや後のムーディやトーリ、そして20世紀前半のビリー・サンディ、後半のビリー・グラハムへとリバイバルの道をたどることができる。この源流に探りを入れると、リバイバル精神がさらに浮き彫りにされてくる。エドワーズ、ウェスリー、ホウィットフィールドの霊性に共通して言えることは、初代教会の霊的活力への憧れ、特にペンテコステの日に一挙に3千人を劇的に回心させた聖霊の働きを彼らの働きの理想としていたことである。どうしてあのような活力を今の教会は持っていないのだろうか、という疑問から始まって、やがて自らがその聖霊の活力を必死に求め、力を受ける。その始まりは少数グループの中にあり、聖霊による霊的覚醒がごく自然に起こされる。だが聖霊によって目覚めた少数は、受けた力を大衆伝道という方向へ活用していく。大衆に届くように、地方大会の枠組みを超えた野外説教やテント首魁、やがて大規模に組織化されたキャンペーン・クルセードという方策がとられ、大衆が容易に手にするようなトラクトや文書、雑誌などが果敢に用いられ、現代社会ではマス・メディアの発達がフルに活用されている。だが、大衆に信仰復興が広がるための基軸は、ペンテコステの日と同じく、「説教」である。その説教は、罪に対する神の裁きを強く確信させ、十字架の贖いを個人的に信じることによって罪が赦され、生れ変るという確証に満ちた霊的体験を明確に打ち出し、キリストの再臨を必至に感じ取る鋭さを備えているのが特徴である。
(了)