エステル記を読む

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エズラ、ネヘミヤ、エステルの3書は、旧約歴史の最後の部分を構成する。その内容は、バビロンよりの帰還、王の宮及びエルサレムの再建、ユダヤ人の国民生活および国土の復興に関する物語である。前536-432年の約100年間にわたる期間で、ハガイ、ゼカリヤ、マラキの3人はユダヤ再建のこの時代に活躍した。前536年-516年、総督ゼルバベルと祭司ヨシュアのもとのこの20年間に、ユダヤの主の宮が再建された。ハガイとゼカリヤはこの時期に活躍した。前457‐432年、総督ネヘミヤと祭司エズラの下で25年間に城壁が再建され、エルサレムは要塞都市に復興した。マラキはこの時期に活躍した。エズラ記はこの二つの時期について記述し、ネヘミヤ記は2番目の時期についてのみ記している。

エステル記は1,2の両時期の中間時代に書かれた。

北イスラエルはアッシリアにより前721年に捕囚となった。またユダは前606年にバビロンにより捕囚となった。北イスラエルはアッシリアの混血政策で、民族としての純潔は失われ、サマリア人が生まれた。ユダは、前536年にペルシャのもとで、帰還を赦された。ペルシャは、アッシリヤやバビロンに比べて、より人道的であった。

アッシリヤやバビロンの王の政策は、被征服民族をその国土から連れ出し、他国に離散させることで、征服した土地の支配をより効果的に行おうとするものだったが、ペルシャは、追放された民族をその本国に送還する政策をとった。初代ペルシャ王、「比類のない善良かつ正義の君主」と言われたクロス王の業績は、ユダヤ人の本国送還の許可であった。

ペルシャは、ティグリス、ユーフラティス流域の東方低地にある、山の多い大高原であった。ペルシャ帝国は、東はインド、西はギリシャに及び、アジアとヨーロッパにまたがる大帝国をなし、首都はペルセポリスとシュシャン(スサ)にあったが、王はしばしばバビロンに居住した。ペルシャ帝国は世界帝国として、前536年-331年まで約200年続いた。

歴代の王は以下の通り。①クロス(前538-529)、 ②カンビュセス(前529-522)、③ダリヨス1世(前521-485)、④クセルクセスⅠ世(前485-465)、⑤アルタクセルクセスⅠ世(前465-425)、⑥クセルクセス2世 (前424)、⑦ダリヨス2世(前423-405)、⑧アルタクセルクセス2世(前405-358)、⑨アルタクセルクセス3世(前358-338)、⑩アルセス(前338-335)、⑪ダリヨス3世(前335-331)、
ペルシャは前331年にニネベ付近のアルベラの戦いで、アレクサンドロス大王に敗北し、衰亡した。ペルシャに変わって歴史に登場してきたのがギリシャである。以後世界帝国はアジヤからヨーロッパへと移っていった。

聖書に出てくる「アハシュエロス」王とは、上記④のクセルクセス1世である。エステルは王妃であり、モルデカイは宰相であった。エズラ記4:6には、(ユダとベニヤミンの敵である者達)が登場する。これは4.4の(その地の民)と同じく、サマリヤ人を指す。ネヘミヤ4:11にも、「われわれの敵」と書かれている。サマリヤ人は、旧約時代からすでに、ユダヤ人には敵ととらえられていたのである。エズラ記4:4に出てくる「その地の民」も、サマリヤ人を指す。サマリヤ人は律法を知らぬのろわれた民と考えられていた。彼らはサマリヤのゲリジム山の神殿が正当な聖所と考えていて、エルサレムの神殿建設に反対したのである。

ユダヤ人に対して本国帰還の認可を与えた王は、①のクロス王である。クロス王は、前536年にバビロンを征服し、ペルシャを世界帝国とした王である。②のカンビュセス王は、聖書には宮の再建の工事を中止させたアルタシャスタ王として登場する。

このエステル記で重要なのは、ユダヤ人を絶滅の危機から救ったエステルの勇気と行動であろう。1章に、エステルが王妃となったことが記され、2章に、ハマンの陰謀のことが記され、3章以降にユダヤ人の救いとプリムの祭りが記されている。

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エステル記 9章  第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。その日、ユダヤ人が自分たちに害を加えようとする者たちを殺そうと、アハシュエロス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。民はみなユダヤ人を恐れていたからである。諸州の首長、太守、総督、王の役人もみな、ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。というのは、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっており、モルデカイはますます勢力を伸ばす人物だったからである。ユダヤ人は彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。ユダヤ人はシュシャンの城でも五百人を殺して滅ぼし、また、パルシャヌダタ、ダルフォン、アスパタ、ポラタ、アダルヤ、アリダタ、パルマシュタ、アリサイ、アリダイ、ワイザタ、すなわち、ハメダタの子で、ユダヤ人を迫害する者ハマンの子十人を虐殺した。しかし、彼らは獲物には手をかけなかった。その日、シュシャンの城で殺された者の数が王に報告されると、王は王妃エステルに尋ねた。「ユダヤ人はシュシャンの城で、五百人とハマンの子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたはなおも何を望んでいるのか。それをかなえてやろう。」エステルは答えた。「もしも王さま、よろしければ、あすも、シュシャンにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることを許してください。また、ハマンの十人の子を柱にかけてください。」そこで王が、そのようにせよ、と命令したので、法令がシュシャンで布告され、ハマンの十人の子は柱にかけられた。シュシャンにいるユダヤ人は、アダルの月の十四日にも集まって、シュシャンで三百人を殺したが、獲物には手をかけなかった。王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。これは、アダルの月の十三日のことであって、その十四日には彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。しかし、シュシャンにいるユダヤ人は、その十三日にも十四日にも集まり、その十五日に休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。

それゆえ、城壁のない町々に住むいなかのユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の日、つまり祝日とし、互いにごちそうを贈りかわす日とした。

モルデカイは、これらのことを書いて、アハシュエロス王のすべての州の、近い所や、遠い所にいるユダヤ人全部に手紙を送った。 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、22 自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。ユダヤ人は、すでに守り始めていたことを、モルデカイが彼らに書き送ったとおりに実行した。 なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、 そのことが、王の耳に入ると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。 こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、ユダヤ人は、彼らと、その子孫、および彼らにつく者たちがその文書のとおり、毎年定まった時期に、この両日を守って、これを廃止してはならないと定め、これを実行することにした。 また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝わなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。 アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を確かなものとするために、いっさいの権威をもって書いた。

30 この手紙は、平和と誠実のことばをもって、アハシュエロスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。エステルの命令は、このプリムのことを規定し、それは書物にしるされた。

この書には、神という語が出てこない。ユダヤ人を滅亡から救ったのは、神ではなく、エステルの勇気ある行動である。4章13節から15節にエステルの固い決意が記されている。「モルデカイはエステルに返事を送っていった。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このときのためかもしれない。」

エステルはモルデカイに返事を送って言った。『行って、シュシャンにいる、ユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令に背いても、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。』

エステルにこのような決意を抱かせたのが隠れたところにおられる神であることは疑いない。神がエステルにユダヤ人が絶滅してはならないと思わせたのである。エステルの企ては成功した。

悪だくみを企てたハマンは木にかけられ彼の子も殺された。エステルの訴えは「私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」「王は、どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちの命を守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を子供も女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを赦し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した。」

聖書の箴言16章:33節に「人はくじを引くが、ことを定めるのは神」という1節があります。隠れたところにおられる神が、ことの最終決定を決められるのです。
人間に必要なのは、神の言葉に聞き従い、神の思いを実行することだけです。エステル記は、クリスチャンにそのことを教えてくれます。