小さい者たち
中澤 努
父が亡くなって早10年が経ちました。 私が父を特に印象深く覚えているのは小学4年生の時に、家族で館林のつつじ祭りに出かけた時のことです。 前の晩には枕元のおやつの入ったカバンが気になって、中々眠れなかったことなど、今思い出すとおかしくも懐かしい思い出です。4月の日曜日は緑が美しく太陽がとてもまぶしい季節でした。館林は行楽地で、大勢の人が繰り出していました。
燃えるような鮮やかな赤い色をしたつつじの花を見て、母が作ってくれた弁当を食べ、また昨夜から気になっていたおやつを存分に味わい、花より団子の気分で楽しみました。食後は弟と走り回ったり家族で記念写真を撮ったりと楽しいひと時でした。
やがて帰る時間になって電車を待っていた時に、その事は起こりました。
ごった返すホームに電車が入ってきました。運良く一番前に並ぶことが出来て座れるのはほぼ確実でした。その時電車からたくさんの人が降りてきました。
ほとんどの人が降り終えて、弟の手を取って中に入りました。 人がどっとなだれ込んで来るだろうと思い後ろを振り向くとなんと、父が両手を開き、入ろうとする人を抑えていました。何が起きているのか状況がよくわかりませんでした。
よく見ると年老いたおばあさんが着物姿で、降りようとしていたのですが、人を見て怖くなり前に進めないでいました。父は後ろに並んでいる人から「何してんだ!」と怒鳴られましたが、おばあさんが降りるからと言って、乗ろうとして強く押し込んでくる人たちを必死に抑えていました。ようやくそのおばあさんは電車から降りて父に軽くお辞儀をして歩いて行きました。父が手を下ろした瞬間、待ちきれずにいらついていた人達が勢いよくなだれ込んで来ました。その時の様子は今でも脳裏に浮かんできます。父はおばあさんが無事に降りられたのを見て電車に入ってきましたが座ることは出来ませんでした。でも、父はいつもと変わらない顔をしていました。
以前に伝道集会が行われ、三浦綾子さんの「塩狩峠」の映画に父を連れて行ったことがありました。主人公の永野氏の友人が出征し帰ってきた時に母のいはい位牌の前で泣く場面がありました。
なんとなく父の方に目をやると、父が下を向いて目頭を押さえていました。感動的な場面で胸がいっぱいなのかと思い勝手に満足していましたが後で話を聞いて驚きました。父は戦争に出征中に母を病気で亡くしていました。
出征する日、門まで行きましたが引き返してもう一度病気で寝ていた母に声をかけてから出たそうです。帰省後、いはい位牌と亡くなった母の写真の姿を見て号泣したと言っていました。いま思うと父はあの電車から降りようとしたおばあさんを見た時、亡き母親を思いとっさに両手を広げ助けようとしたのだと思います。
いまにもなだれ込もうとした乗客に、母親と同じ年代のおばあさんが困っているのを見て、なんとかしなくてはととっさに思ったのでしょう。
聖書によきサマリヤ人の話が出てきます (ルカの福音書10章30~37節)。
強盗に襲われ倒れている人を自分の危険も顧みず、助けるという聖書の話です。 傷の手当てをし、献身的に開放するその姿に、心が打たれます。 またイエス・キリストはこうもいっています。 「最も小さい者たちのひとりにしたのは私にしたのです」 自分中心の風潮にあるこの世の中ですが困っている人を思う気持ちを大切にし、イエス・キリストが人類の為に成し遂げて下さった尊い十字架の犠牲を感謝しつつ、お互いの愛を大切にして行こうと思います。