「祈りなさい。」

「祈りなさい。」     
                               藤田 朋恵
 私がそうであったように、目に見えない神様や霊などは信じられないと思っている方々へのメッセージとして本文を記します。より頼める確かなものに従って自分の人生を歩むことについて考えるきっかけになれば幸いに思います。
  私は、“これからの人生、イエス・キリストを通して神様に守ってもらおう”という単純な気持ちでクリスチャンになった者です。しかし、この気持ちに至るまで、振り返れば30年近くの時間を要しました。
 私の出身地北海道帯広市に帯広聖書センターという名称の教会があり、私が小学生の頃、ニュージーランドからいらしたジリアン・ガウさんという宣教師さんがいらっしゃいました。母の友人の紹介がきっかけで、私と妹はジリアンさんから英語と聖書を教わることになりました。旧約聖書で語られる人類誕生に関わるアダムとエバやノアの箱舟の話を半信半疑で聞いていました。思春期の頃には悩み事を相談することもありましたが、必ず言われたことが「とにかく祈りなさい。」でした。直接的なアドバイスを期待していたので、不意をつかれた、がっかりした気持ちになりましたが、ジリアンさんの優しい人柄に癒されていました。
 相模原市にある大学に進み、ジリアンさんの紹介で大野聖書センターに行くことになりました。あまり物事を真剣に考える性格ではないため、学生生活も目の前の試験をこなすことだけに必死で、あとは淡々と過ごしていたように思います。今から考えると何と時間を無駄に費やしていたのだろうと呆れます。大野聖書センターの皆さんはいろいろ気遣ってくださいましたが、身勝手なもので詳細を覚えていません。こんな性格でしたので、日常生活が次第に忙しくなるにつれ、大野聖書センターに全く行かなくなりました。
 神様により頼むなどという考えは毛頭なく、自分が頑張れば何とかなるという思いだけで、突き進みました。学生のうちは、努力をすれば目標はそこそこ達成されました。しかし、社会人になると自分の思いだけでは物事がすすまなくなりました。人間関係でうまくいかない、惑わし、仕事がうまくいかない、といった悩みをいつも抱えていましたが、自分を省みる余裕などなく、眼前の物事に対処するだけで精一杯でした。自分が犯している過ちについて曖昧にしたまま過ごしていました。20代半ばから30代前半にかけてです。
 大野聖書センターに再び行くことになったきっかけは、ジリアンさんからの「近くまで行く用事があるので、泊めてもらえませんか。」という電話でした。「一緒に大野聖書センターに行きましょう。」と言われ、「しばらく行っていないし、今更で恥ずかしくて行けない。」との返答に対し、「大丈夫よ~。行きましょう。」とにこやかに言われ、羊飼いに羊が連れて行かれるように、再訪しました。自分の心配とは裏腹に、大野聖書センターの方々は以前と同じように喜んで迎えて下さいました。この頃の私は“人間の思いだけでどうにもならないことがあり、神様のご計画には逆らえない”という思いを抱き始めていました。大野聖書センターに再び通うようになり、1年後、洗礼を受けました。
 神様のなさることは人間の知恵でははかり知れません。従って、私は聖書の中に自分にとって不可解な部分があっても構わないと思い、まず信じてみることにしました。そして、今は、日々の祈り、些細な日常の出来事、振り返って見たときの自分の歩みを通して、自分が神様に導かれ、守られていることを実感しています。ジリアンさんが昔私に言われたように“祈り”が唯一の解決方法であると確信しています。
 若いときに神様を信じた方々を見ると羨ましく思いますが、人それぞれに神様を受け入れるのに定められた機会とそこに至るために用意された方法があるのだと思います。
私には、20代半ばから30代前半にかけての苦い経験を通して自分の愚かさに気付くことが必要でした。私をクリスチャンに導いて下さった神様に感謝をしています。