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大野聖書センターについて 鈴木秀幸
「街は裸で座り込んでいる、夢をみようにも夢が無い、最後の幸せをポケットに、僕は旅立とうとしている」70年代、こんなフォークソングが流行りました。都会の若者達の閉塞感を、この歌手は切ない透明な言葉で歌いあげました。さて、あれから30年、オイルショックから立ち直った日本は、高度成長期そしてバブル経済の崩壊を経て大きく変貌してきました。私たちの街相模大野も激しく変わりました。大型デパートが進出し、駅ビルが造られ、マンションが造成されました。 大野聖書センターは当時相模大野郵便局近くにありましたが、10年程前、現在の場所に移転しました。閉店となったビデオショップの場所を借りまた隣接する1DKのアパートを借りて活動を始めました。当時は米国人宣教師を代表に、学生、大学教授、会社員など20名程度からなる活動でした。相模大野駅からは徒歩で15分ほど、小田急相模原駅からもほぼ同じ距離で行幸道路沿いにあります。近くには「すかいらーく」や「セブンイレブン」などがあります。 大野聖書センターの外観は、十字架も無く、講壇もなく、一見して貸しオフィスのような装いをしています。「大野聖書センター」の文字を見落とされたらあるいは教会と気がつかず通り過ぎてしまうかもしれません。 毎日曜日10時半に礼拝がスタートし集会の活動は始まります。パンとぶどう酒を輪になって囲み、祈り、賛美し、一人一人がパンを味わいぶどう酒を飲みます。このパンとぶどう酒は十字架上で死なれたイエス・キリストの身体と血を表しています。11時半から約30分間の聖書の学びは信徒による聖書からのメッセージです。午前の部はここまでで終了。昼食のにぎやかなひと時は、手作りの献立や茶菓子を楽しみつつ、さまざまの話題が飛び交うリラックスした雰囲気の中で進んでいきます。午後2時からは福音集会です。聖書を学んで月日が浅い人でも楽しく話が聞けるように、信徒の話し手はゆっくりと丁寧に語ってくれます。午後3時で集会は終了です。この他に、土曜日、水曜日に聖書の学び会が行われています。 さて、集会の特色は、さまざまな職業、学生、無職の人が聖書を学び、聖書の「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」という言葉を大切に生きていくことです。お互いを受容れ、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」という聖書のことばに深く共感する人々が互いに集まっています。 かつてのバブル崩壊後の就職難など、当時の若者達を捕らえていた閉塞感は今日再び蔓延してきています。明治時代に米国から来日し、札幌農学校で教鞭をとったクラーク博士は離日前に別れの言葉として、「ボーイズ ビー アンビシャス(若者よ 大志を抱け)」といったと伝えられています。若者を育むのは、自分が大切にする夢と希望、つまり「大志」が成長の糧となるのだということを教える名言です。博士は学生達に、聖書を配り、自身キリスト教についても講じました。博士の薫陶(くんとう)を受けた門下生には、内村鑑三や新渡戸稲造らがおります。私達大野聖書センターも、聖書と聖書の言葉である福音の普及を願っています。